のろし雲 [今日の天気]
白老のゴルフ場に行ってきました。
スタートした間もなく、灰色の雲は無くなり青空になりゴルフ日和、
思う存分に楽しんできました。
OB2回、空振り1回。
空振りは久々、地響きがしたのでミミズがびっくりしたかも。
帰宅すると、妻は久々の晴れになり室温は28度まで上がり
ぐったりして何もやる気がないと言っています。
7時前に夕食すまして外を見たら、のろし雲(こういう名前があるかは知りません)が
まっすぐに昇っていました。
うっとしい天気は終わったよう!というのろし(あいづ)かも知れません。
気温もいつもより2度くらい高め
青空の夕方を迎えるのは気持ちがいい。
多分2か月ぶりかも。
ゴルフですが… [ゴルフ]
これからゴルフ友を迎えいに行き、ゴルフです。
天候は相変わらずで曇天、5時の気温は21度。
昨日の日中より1度低いだけで、ムシムシします。
今日も真夏日の地域が多いようですので
熱中症には十分気をつけて過ごしましょう。
自分と他人の立場を置き換える [心の栄養]
もし他人の立場に自分を置いたならば、
われわれが相手に対していだく憎悪の感情から解放されることが、
さぞ大いに違いない。
また他人を自分の立場に置いたならば、
自慢の鼻をさし控えることが、
さぞ大いに相違ない。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
何よりも自分を知ることが大切ですね。
自分を知った時に、自慢したことがいかに恥ずかしかったかが
見えてきます。
穴があったら入りたい!
ラジオ体操最終日なのに… [今日の天気]
今日で広場での夏休み体操終了日です。
最終日くらい青空の下でラジオ体操と思っていましたが、残念ながら小雨が降っています。
気温は、変化なく21度。
それにもめげず、集まってくれました。
長靴を履いてのラジオ体操も貴重な体験
連日、晴天には恵まれませんでしたが、頑張って参加してくれたご褒美
大人にはペットボトルとティッシュペーパー1箱
北海道の軽井沢 [今日の天気]
我が地域は「北海道の軽井沢」と言われている。
夏はそれほど暑くならない。
現に今日の道内は、30度を超している地域が多く、
ラジオではサロマ湖で35度、と放送していた。が
拙宅の気温計は22度、小雨が降っています。
さてその軽井沢である我が地域ですが、
昨朝のラジオ体操は、一昨日の青空と違って曇天。
役員も参加
青空が見えそうな雲行きです
気温は20度、最高気温は22度でした
しかし8時過ぎから雨でした
今朝起きたら、やはり雨
気温は昨昼と殆ど変わらず
過ごしやすい気温は結構ですが、連日の曇天、雨ではうんざりです。
ちなみに北海道の湘南と言われているのは伊達、
冬季の気温が比較的高く雪が少ない、晴れの日も多いそうです。
(負け惜しみではないが、寒さと雪の深さはわが地位と変わらない気がする)
(負け惜しみではないが、寒さと雪の深さはわが地位と変わらない気がする)
素敵な出会い [心の栄養]
客観的に見れば全く同じことを、
悲観的に見るか、
楽観的に見るか、
諦めて受け人れるか、
希望を捨てることなく受けとめてゆくかが、
同じ一つのことを、運命として仕方なく甘受するか、
摂理としてありがたく頂載するかの違いになります。
PHP文庫 渡辺和子著「愛と励ましの言葉365日」より
40年前、独立かサラリーマンでいるかと迷い、独立することに内心決める。
得意先とゴルフをした翌日、出勤すると社員は工場でうずくまっていた。
ピンとくるものがあり、問いただすと勘が当たった。
社長が逮捕されたのだ。
風太郎は古参社員だが一兵卒で何の権限もない。が
弁護士は数日で釈放されるというのでその間会社の指揮をとった。
抑留は半年以上となり、その間に第一子の死産、会社の寮兼倉庫が全焼。
なぜ俺がーーと最初は悩んだが、
これは俺にしか経験できないことかもしれない、
「神様がくださった将来のいい勉強になる実地訓練だ」
と気づくと楽になり、得意先は今まで以上に懇意にしてくださり
独立するにあたっても温かい手を差し伸べてくれた。
最後は失敗して大損したが、お陰様で現在の僕がいる。
ラジオ体操 [今日の天気]
夜中の1時過ぎには久しぶりの月光で裏庭が見えたので、
ラジオ体操は青空の下でできると思った。
ラジオ体操は青空の下でできると思った。
しかし、朝起きると相変わらずの曇天、昨日よりも暖かいので半袖が多い
9時過ぎころから、青空の占領地域が広がってきます。
こんな青空何日ぶりでしょう。予報では終日曇りでした。
隣の菜園
室温
自転車で日本1周の青年から分けてもらったカメラで撮ったのだが
近距離はシャッターを押すと焦点がぼけてしまう。
ネットで調べてもマニュアルが見つからず諦めです。
真の知識とは [心の栄養]
真の知識の道はただ一つしかない。
知らなければならないのはいかに生きるべきかということだけである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
いかに生きるべきかということは
いかに死ぬべきかということだと思います。
自分の人生を後悔なく幕を閉じる。
自分の人生劇場、拍手喝采の中で惜しまれながら幕が降りてほしい。
それには、
「今、生きている」という事実を知ることが、真の知識と解釈しました。
道の駅神恵内で、去年も休んでいました。
かけがえのない命 [事件・事故・災難]
「この命には生きる価値があり、
あの命には生きる価値がない」
と決められる人はいません。
「わたしの命の方が、
あの人の命より価値がある」
と言える人もいません。
障がいのある人もない人も、
神さまの前ではまったく同じ
かけがえのない命なのです。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
あの忌まわしい相模原殺傷事件から2年。
この浮き輪の山は、大小・色違いなど様々ですが
漁師さんにとってはどれも大事な浮き輪です。
神様はどのような人にも、
分け隔たり無く慈しみを向けてくださっています。
それなのに、
独善的な考えで人の命を
無残にも奪っていいものなのでしょうか。
子供達はお天道様が大好きなのに [今日の天気]
今日から、広場で子供のラジオ体操が始まりました。
しかし、霧雨が降り気温は17℃、肌寒いです。
愛車は霧雨で不満足な濡れ方
天気がはっきりしないためか、人数が少ないようです。
鉛色の空の下でイチ・ニ・サン
真夏の服装と思えません
束の間のお天道様 [今日の天気]
朝起きて外に出ると、まさに太陽が顔を出さんとしている。
こういう朝を迎えるのは久しぶりだ。
胸がわくわくする。
室内の温度
屋根の上のアンテナの輝いている
スギナの宝石
しかしそれも7時頃から雲が覆いかぶさってきた
2時の気温
空は
スッキリした空が欲しい!
大阪城公園の茶屋、1.3億円脱税容疑 [事件・事故・災難]
自分で事業を起こした場所は神田明神下、そして湯島天神前に越した。
お祭りになると露天商が並び賑わう。
その時期になると、
肩をふりふり蟹股で歩く怖い人が公道に露天商の区割りをしていく。
「しょば」代は区割りされた場所によって異なるが数万円らしい。
湯島天神の露天商は5万円払ったと言っていた。
露天商の車は公道に停め、商売に専念する。
同じ商売でも我々はレッカー移動や、駐車違反のベタリンコが待っている。
真面目に税金を払っていても、税務調査が入ると
あ~でもない、こうでもないと追徴金を払わせる。
全てとは言わないが、
露天商の皆さんが真面目に税金を払っているとは思えない。
だから、脱税に加担しないように、
どこのお祭りでも、露天商からは買わないようにしている。
偉くなりたい者は [心の栄養]
あなたがたの中で偉くなりたい者は、
皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、
皆の僕になりなさい。
(マタイ20章27節)
今日のミサの中で朗読される聖書の1節です。
この意味は、決して驕り高ぶり、傲慢、軽蔑するなということだと思います。
この1節で、四季折々に咲きほころぶ花々を思い浮かべました。
決してでしゃばること無く、置かれた場所で花を咲かせ
観に来る人たちの心を悟り、そして私たちに静かに話しかけ
希望、癒し、慰め、勇気などを沢山与えてくれます。
だから、花は高い位置に飾られるのではないでしょうか。
道徳的な善と物質的な善との対立 [心の栄養]
道徳的な善と物質的な善との対立が苦痛を生み出すような諸条件こそ、
実は最高の精神の高揚をもたらすものである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
困っている人に合った時に、咄嗟に助けてあげることがある。
何の見返りを望まずだ。
しかし、あとからお礼の品物を持ってこられることがある。
それって苦痛に感じることがある。
越してきて間もなくの雪の夜、道端の切り株に座り込んでいるご婦人がいたので
「どうしたんですか?」と声をかけると
「救急車を呼んでください。心臓が悪いんです」
それから10日以上たって、そのご婦人が娘さんの運転する車で訪ねてきた。
「通勤帰りで通り過ぎていく人がいますが、誰も声をかけてくれませんでした。
もしあの時に、救急車を呼んでくれなかったら命は危なかったです。
どこの人か分からず、探すのに時間がかかってしまい遅くなり申し訳ございません」と
謝辞を言い、数千円するお茶菓子を持ってきた。
安否を気遣っていたが、高級なお菓子を貰うことに抵抗を感じた。
儀礼的ではなく、本心から遠慮した。しかし
「母の命の恩人です。これでは済まないと思いますが気持ちですので受け取ってください」
と娘さんから諭され受け取った。
が、身なりからしても、相当の無理をしての買い物だったのではと心苦しかった。
去年の今日は暑かったです [今日の天気]
去年の7月23日はとても暑く、気温も31度あり
半日で日焼けをしてしまい、水分補給をするためにペットボトルが離せませんでした。
今朝の4時半の気温17度
どんよりした雲の間から申し訳なそうな青空
でもほとんどは雲の天幕
15時の気温23度
相変わらず雲の天幕
室内は外の気温と殆ど同じ
日本記録41度を超す県も酷暑で大変、知人の農家は大雨の後には気温が上がらず
冷害での農作物を心配しています。
卑劣だ! [事件・事故・災難]
詐欺グループは、
公的機関を名乗って架空請求書を送り、
コンビニエンスストアなどでの振り込みを求めているという。
あまりにも卑劣すぎる行為だ。
詐欺グループにとって、被災者に対しての最大の支援は何もしないことです。
夏休みに入る子供たちへ [共同祈願]
(神様)
夏休みに入る子どもたちを祝福してください。
自然の中で仲間と過ごす時間を通して、
主の愛を感じる心がはぐくれますように。
(聖書と典礼2018.7.22より)
神仏を信じないひとは
主の愛を
良心の愛、祖父母の愛などに読み替えたら
意味が分かり易く、身近に感じると思います。
子供の夏休みは、
家族にとっては年間で一番親密に過ごせ
子供たちは精神的にも大きく成長する時期でもあります。
充実した夏休みを過ごせますように。
万引き家族 [映画・落語ほか]
昨日は隣の室蘭市の映画館に行き「万引き家族」を観ました。
入館するときには曇っていましたが、
見終えて外に出たら久しぶりの青空で嬉しい~!
シネマトゥディより
映画comより
この映画を鑑賞した人の感想や批評は様々ですが
僕が印象に残っているのは、この二人が駄菓子屋からの二回目の万引きが
成功したと思い、玄関をでると
「こら!」と
駄菓子屋の主人から呼び止められ、怒られるのを覚悟していると
棒状のお菓子を1本ずつくれ、二度としないように戒める場面です。
悪いことをしたと、咎を責めるのは簡単ですが
「悪いことをしてしまった」と
子供たちが分かっているので敢えて責めることなく
やってしまったことに苦しんでいる子供たちに向ける、優しい父親の心、
後悔させる気持ちをおこさせる温かい心です。
これはどんな罰よりも効き目があります。
子供見回り隊をしていて、
子供たちのいたずらをどのように注意したらいいのか迷っていたので
参考になりました。
幸せになる資格 [心の栄養]
「あんな罪を犯した自分には、
幸せになる資格がない」と
思いつめる必要はありません。
悔い改めて、
同じ間違いを繰り返さないこと。
自分にできる限りのことをして
周りの人たちを幸せにし、
自分自身も幸せに生きることこそ、
何よりの償いだからです。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
キリスト教信者の、「懺悔」あるいは「告解」というのを聞いたことがあると思います。
最近のカトリックでは「回心」ということばに改めています。
今までの「懺悔」「告解」は神に対して犯した罪を悔いるという意味合いでした。が
「回心」には神様に反する道に歩んだと気付いたならば、方向転回して心を神様の方に向けましょう、
という意味があります。
登山をしていて、間違った登山道を進んでしまうと、頂上にたどり着けず
思わぬ災難に遭うかもしれません。その時には引き返す勇気が大切です。
間違いをおかした先には、真の幸せはありません。その人が真の幸せを解いても説得力もなく、道に不案内の人が、道案内しているようなもので、幸せという目的にたどり着くのは難しいでしょう。
先ずは自分が幸せな道を歩もうとしないならば、人を幸せにすることはできない。そのためにはいつも「回心」を忘れず、幸せな方向にハンドルをきる勇気が大切だと解釈しました。
心のハンドルをさび付かせないように気を付けなくっちゃ。
良い顔をしてネ!!! [心の栄養]
幼稚園で先生が園児の写真を撮っていた。
「は~い、みんな、いい顔をしてね。撮るわよ!」
さて、僕のいい顔はどんな顔なのかな?
鏡を見るのが怖い
真の宗教は幸福を保証する [心の栄養]
この世の生活のみじめさと苦しさの中にあって
唯一の信頼できる慰めは宗教です。
宗教だけは、この世においても来世においても、
わたしたちに幸福を保証してくれます。
わたしたちに幸福を保証してくれます。
ドン・ボスコ社刊「聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日」より
この世のご利益追求的な宗教は虚しさを感じます。
それは教祖が単なるこの世の富、勢力争いのために開宗るすからです。
どのような宗教を信じ、その宗教に高価な貢物をしても
この世で目に見える幸福を味わうことができません。
教会やお寺には鐘や鈴がありますが、
僕が考えるには、その鳴り物はいまの自分を気付かせる音、ではないかと思います。
除夜の鐘が鳴るごとに、1年間大病もせずに過ごせた自分。
教会のミサの始まりを知らせる鐘、今日も皆と一緒に祈ることができて喜ぶ自分。
お経の間にお坊さんが叩く鈴の音や太鼓の音は、
天国、極楽にいる亡き人を思い浮かべ、一体となっている自分。
どれも、人さまには見えない幸福です。
宗教を利用して政治に関与したり、富を得ようとするするのは虚しく
真の幸福はないのではないでしょうか。
道の駅 富士見 [道の駅]
5月30日 道の駅 富士見
道の駅 スタンプラリーの押印は足腰の丈夫でない人にはチョットきついです。
脇の階段を上ったレストランの中にスタンプ台があり、
やっとの思いで昇ってきて「いや~これはきつい」と僕を入れて漏らす人が殆どです。
その日は見えませんでしたが、利尻富士が見えるから「富士見」かもしれません。
decide for oneself [心の栄養]
信仰とは、ふれることのできる何かではありません。
信仰は、神を礼拝すること、つまり良心の問題です。
どんな宗教を選ぶかは、
自分自身で決めなければなりませんし、
あなたは、あなた自身で決めなければなりません。
わたしにとって、
わたしが生き、神を礼拝してきた宗教は、カトリックです。
わたしにとって、これこそが、わたしのほんとうの命であり、
わたしの喜びであり、
わたしのための神の愛の最高の恵みなのです。
神は、これ以上のものをわたしにくださることは、
おできにならなかったのです。
信仰は、神を礼拝すること、つまり良心の問題です。
どんな宗教を選ぶかは、
自分自身で決めなければなりませんし、
あなたは、あなた自身で決めなければなりません。
わたしにとって、
わたしが生き、神を礼拝してきた宗教は、カトリックです。
わたしにとって、これこそが、わたしのほんとうの命であり、
わたしの喜びであり、
わたしのための神の愛の最高の恵みなのです。
神は、これ以上のものをわたしにくださることは、
おできにならなかったのです。
(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)
親族でカトリック信者は僕だけです。妻は定年退職までカトリック系の施設で働いていましたが信者ではありません。誰にも信教の自由はあり、強制できるものではないと思います。東京の友達が我が家にきて、もし私たちが信者になったら風太郎の点数になるの?と聞かれました。勿論そういうことはあり得ません。北海道に移住し、近所に政教一致の新興宗教を信じている人が多いのに気づかされます。ことあるごとに入信を勧められますが「僕はカトリック信者です」と断ります。
聖書に「神よ、神よ」と祈る人が救われるのではなく、神の行いをなす人が救われるとあります。この炎天下のしたで、被災者のために一生懸命に奉仕活動をなさっている方の行いは、神様が喜んで聴いてくださる何よりも勝る祈りだと思います。
マザー・テレサにとって弱者のために働くことが、神との一致をみる最良の方法であり、神のために働くということが、「苦」は「天国へ行ったときのための宝物」だったのかもしれません。
brethers & sisters [心の栄養]
愛と思いやりを、必要としている人々にもたらし、
それを分ち合いましょう。
彼らは、あわれみや、同情を必要としているのではありません。
それどころか、あなたがたを豊かにしてくれるのです。
シスターも、わたしたちも、
この困っている人々から受けてきた愛で豊かにされました。
わたしたちにとって、
彼らがだれで、どういう人たちかということには、
なんの区別もありません。
彼らは皆、兄弟姉妹です。
わたしたちは皆、家族の一員です。
わたしたちは皆、
同じ愛の御手によって創られた神の子どもなのですから。
(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)
それを分ち合いましょう。
彼らは、あわれみや、同情を必要としているのではありません。
それどころか、あなたがたを豊かにしてくれるのです。
シスターも、わたしたちも、
この困っている人々から受けてきた愛で豊かにされました。
わたしたちにとって、
彼らがだれで、どういう人たちかということには、
なんの区別もありません。
彼らは皆、兄弟姉妹です。
わたしたちは皆、家族の一員です。
わたしたちは皆、
同じ愛の御手によって創られた神の子どもなのですから。
(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)
こまっている人たちに手をさしのべ、
助けたときのあの満足感は真の喜びで、
その真の喜びは、困っている人から与えられたものです。
自分を必要としている人に、自分を与えるということは
自分が愛で満たされていくことだと思います。
高級なスイカ [道の駅]
6月20日道の駅「とうま」
豆炭のような真っ黒なスイカ、「でんすけ」スイカがずらりと並んでいます。
空き箱かと思ったらどの箱もスイカが入っていました
化粧箱の上からみたら、DENSUKEと日付の位置を気にしていないのが良い
僕は、眺めるだけで手が出ません。
どんな人が買うのか暫く眺めていましたが
「あら、でんすけすいか!」
「奇麗だね!」
「ちょっと高いわね」
とため息が聞こえてくるだけでした。
口喧嘩しても他人のことを言わない [心の栄養]
自分のことについて友人と言い争うのはよいが
他人の秘密を漏らしてはならない。
それを聞いた人があなたを恥に落とし
あなたの悪評は去らないであろう。
他人の秘密を漏らしてはならない。
それを聞いた人があなたを恥に落とし
あなたの悪評は去らないであろう。
旧約聖書箴言25章9-10節
自分のことにつて友人から責められ、言い争いになることがあります。
その時につい
「A君だって同じようなことをしているじゃないか」
「お前だって、同じようことをしたのをみた」
あるいは自分をかばうために、
他人のことを非難し軽々しく傷つけたりする。
これは、
自分がいかに価値のない人間であるかを示しているようなものだ。
いま思えば実に恥ずかしい。
努力した結果が金持ち [心の栄養]
金持ちの財産は彼の砦
弱い人の貧乏は破滅。
弱い人の貧乏は破滅。
(旧約聖書箴言10章15節)
僕は、「金持ち」を羨ましいと思う。
しかし、そのお金は一生懸命に働き苦労をして得たお金です。
金持ちだと言われる人ほど、日夜精進し、働き続けてきた。
その結果得れられた財産は、日常の生活を豊かにしている。
それに比べて、自分はどうであったか。
あの時に、こうすればよかった。
どうしてあのときに、思い切って発想の転換をしなかったのか。
もっと多くの事業家と接し、学び、先見の目を見る力を身につけていれば
この歳になって苦労しなくてもよかった。
すべては自分の怠惰の結果であると、後悔しています。
久しぶりの青空 [今日の天気]
先月も滅多にお目にかかれなかった青空のした、気分が良かったです。
4時に起きた時には雨上がり
6時過ぎの気温、17度弱。昨日の昼間の気温です
雲の間をかき分けて青空がもがいています
山の方面は灰色一色
花弁は雨の雫そのまま、生き生きです
9時過ぎには
山も見えてきました
良かった、明日はゴルフだ!
お昼のニュースでサンマの初セリ、1尾が70000円!。
僕の一か月分の年金の金額とほぼ一緒。
複雑な気持ちです。
真の慈悲 [心の栄養]
真の慈悲
それは自分の勤労と骨折りを弱者に与える強者の慈悲だけである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
弱者、あるいは貧しいというのは、
単に肉体的に弱いとか貧乏していることではないと思う。
いくら裕福な人でも、困っているときには弱者であり、貧しいひとだ。
慈悲は相手あってこその慈悲で、自分自身への慈悲はない。
災害に会った人たちは、世の中のために精一杯いままで生きてきた。
だから、いまいまは慈悲を受けることができる。
まさにボランティア活動は骨折りの勤労になる。
慈悲は人に与えることだから、
飲み物、食物、宿泊なども自分で賄わねばならない。
つねに人に与えることに専念するその姿に脱帽する。
御身を大切に!