SSブログ
キリスト教に関すること ブログトップ
前の10件 | -

サンタルチア [キリスト教に関すること]

今日は聖ルチアの記念日です。
生まれた年は不明ですが304年に殉教されたと言われています。
彼女の名はイタリア民謡「サンタルチア」で有名です。
ルチアは母親の病気が癒されたお礼に、
自分の身を生涯神にささげることを決心します。
そのことを知った彼女に好意を寄せていた青年は
知事に彼女はキリスト教徒であることを訴えます。
当時、ローマ皇帝によってキリスト教は禁止されていたので
ルチアは逮捕され、禁教するよう拷問を受けました。
しかし、ルチアは目玉をくりぬかれる拷問をうけながらも
断固拒否したので殺されました。
イタリアでは12月13日に盛大に祝われるそうです。


nice!(10)  コメント(0) 

カトリックの意味 [キリスト教に関すること]

8日に友人の奥さんの葬儀に行った。
その時に友人は「彼はカトリック信者です」と僕を親族に紹介をした。
するとそのうちの一人が「カトリックとはどういう意味ですか?」と
質問されたので「普遍的」と言う意味ですと答えた。
友人はそれに付け加えて
「普遍的というのは、2000年後も人間同士の繋がりが今と変わらないということだよ。
その原点は愛なんだよ」
クリスチャンでない彼の単純明快な答えに脱帽した。

nice!(9)  コメント(0) 

すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り [キリスト教に関すること]

すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り


宇宙万物の造り主である神よ、
あなたはお造りになったすべてのものを
ご自分の優しさで包んでくださいます。


わたしたちが傷つけてしまった地球と、
この世界で見捨てられ、忘れ去られた人々の叫びに
気づくことができるよう、
一人ひとりの心を照らしてください。


無関心を遠ざけ、
貧しい人や弱い人を支え、
ともに暮らす家である地球を大切にできるよう、
わたしたちの役割を示してください。


すべてのいのちを守るため、
よりよい未来をひらくために、
聖霊の力と光でわたしたちをとらえ、
あなたの愛の道具として遣わしてください。


すべての被造物とともに
あなたを賛美することができますように。


わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。


 


破壊兵器によって、私たちの住居である地球が
日増しに傷つけられていき
同時に多くの避難民が喘ぎ苦しんでいます。
地球は全人類ものです。
一部の国の武力によって破壊されてはいけません。
私たちが生かされているのは、
この自分を必要としている人々がいるからです。
日々の生活に困窮している人々に
寄り添い手を添えた生活をしていきたいです。


nice!(12)  コメント(0) 

二つの知恵 [キリスト教に関すること]


13 あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。


その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
 
14 しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、

自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。 

15 そのような知恵は、上から出たものではなく、

地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。 

16 ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。
 
17 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。

憐れみと良い実に満ちています。

偏見はなく、偽善的でもありません。

(ヤコブの手紙3章13~17節)


「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」
(ルカ7章 35節)
イエス様は上記のように言っています。

上から出たものとは神の霊のことです。
純真で、更に、温和で、優しく、従順、憐れみ深く、偏見はなく
偽善的でもないものは、神の霊に導かれた知恵によるもので、
内心ねたみ深く利己的で自慢したり、真理に逆らってうそをつくのは
悪魔的で、悪魔に支配されていて、
神の霊に導かれていません。
それはその人の行動によって証明される、とイエス様は言っています。
115002.jpg
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。

nice!(15)  コメント(0) 

晩の祈り [キリスト教に関すること]

『晩の祈り』


一日の働きをおえたわたしに、


やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ、


あなたに祈り、感謝します。 


きょう一日、私を支えてくれた多くの人たちに


たくさ んの恵みをお与え下さい。


わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、


あなたを悲しませたことがあれば、どうかおゆるしください。 


明日はもっ と良くいきることができますように。


悲しみや苦しみの中にある人たちを、助けてください。


わたしが幸福の中にあっても、困っているひとたちのことを


忘れることがありませんように。


ア−メン


 


カトリック信者の多くが晩に唱えるお祈りです。


この通りに祈らなくとも


自分のことばで自発的に祈ることもできます。


形式ではなく祈ることが大事なんです。


nice!(10)  コメント(0) 

神は愛 [キリスト教に関すること]

2022年12月31日に亡くなった名誉教皇ベネディクト十六世が

全教会にあてて次のような手紙を遺されています。

(四旬節キャンペーン小冊子2023年より抜粋)


ベネデイクト十六世は、

愛の奉仕が一人ひとりの信者の責努であると同時に、

あらゆる次元における教会共同体全体の責務であると述べた上で、

教会が行う愛のわざの本質的な要素として、次の三つの点を挙げています。


・よいサマリア人のたとえに示された模範に倣い、日の前のニーズに応えること。

 奉仕活動には専門的な能力も必要だが、何よりも人間性を大切にし、

 心のこもった配慮を持って取り組むこと。


・愛の活動を、政党やイデオロギーから独立して行うこと。

 「キリスト教の愛の活動は、

 世界をイデオロギーによって変革するための手段でもなければ、

 現世的な戦略に奉仕するものでもありません。

 それは、人間がつねに必要としている愛を、

 今ここに存在させるための手段なのです」


・愛の活動を、「改宗の強制」のための手段として行わないこと」

 「教会の名で愛を実践する人は、

 決して教会の信仰を人に強制しようとしてはなりません。

 純粋かつ寛大なしかたで示される愛は、最高の意味で

 神のあかしとなることをわきまえるべきです」



愛の行いは人間性を大事にすることが前提です。

上からの目線ではなく、相手を敬い遜り、誠心誠意愛を以て

仕えるようにと公文章で述べています。

施しをするのには、右手でしたのを左手に見られないようにしなさい

と聖書に書いてあるように、

愛の行いは決して見返りを求めず、驕らず、謙虚にします。

そうした隠れた善行を神様は見ておられます。


もし、善行をした後でキリスト教に勧誘、強制したりしたら

神様のみ旨にそぐわないので、神様は満足しません。

マザー・テレサがお手本を示しているように、

キリストの道を教えるのは、愛のこもった善行です

CJS29.jpg

nice!(12)  コメント(0) 

世界こども助け合いの日 [キリスト教に関すること]

カトリック教会では、1月最後の後曜日は

「世界こども助け合い日」と定められています。

ミサの中での共同祈願は

世界の指導者が、

悲しむ人々、

義を求める人々の叫びを聞き、

み旨にかなう判断を持って、

問題の解決に取り組むことができますように。


こども達が世界の人々を仲間として認め合う心を持ち、

清く、

優しい心であなたの平和を実現する者に成長していけますように。

と祈ります



幼いうちから、こども同士がお互いに助け合うように育てていけば、

世の中の人種間差別、諍い、暴力、戦争などはなくなるのでは無いでしょうか。

受験戦争にみられるように出世、権力、金持ちなどを目標に大人になったら

自分をむなしくさせるだけで無く、争いが絶えない世の中にしてしまいます。

何よりも心豊かに生涯過ごすことが大事だと解釈しました。

IMG20210911114108.jpg

nice!(15)  コメント(0) 

あれ!馬小屋にイエス様がいない? [キリスト教に関すること]

今の時期カトリック教会の殆どは馬小屋を飾っています。

しかし、必ずしも飼い葉桶にイエス様がいらっしゃるとは限りません。

それは、まだお生まれになっていないからです。

細かい決まりはありませんので、教会によっては飾ってあるところもあります。

でも24日の夜のミサで全教会が

イエス様のお誕生日をお祝いして飼い葉桶にイエス様を飾ります。

滝川教会もまだイエス様は飾っていませんでした。

もし近くにキリスト教会があったら、

イエス様が飼い葉桶に寝ていらっしゃるかどうか覗いてみては如何でしょう。



マリア様とヨセフ様が見守っています。

IMG20221212140849 (1).jpg

羊飼いも生誕を待ち望んでいます

IMG20221212141320.jpg

滝川教会の主任司祭は毎年創意工夫し馬小屋の飾り付けをしていています。

去年は100kg近い松やもみの小枝を集めてきて馬小屋を完成させました。


IMG20221212141247.jpg

一般のカトリック教会は祭壇の周りには飾りをつけずさっぱりしていますが、

滝川教会の主任司祭は、

その季節に合わせたのを祭壇の前に備えたり、飾ったりします。

例えば収穫の秋の季節にはハロウィーンを兼ねて

ミニカボチャが飾ってありました。

IMG20221110172017.jpg

IMG20221110172621.jpg

僕がブロッコリーを持って行きますと

「大地の恵み

労働の実り

わたしたちの命の糧となるものです。」

とお祈りをしてブロッコリーを供えました。

IMG20221110172602 (1).jpg

nice!(13)  コメント(0) 

ともしびは燭台の上に置く [キリスト教に関すること]

そのとき、イエスは人々に言われた。

ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。

だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」ルカ8・16-18


隠し事や秘密などは、本人がバレないと思っているだけなのですね。


nice!(12)  コメント(0) 

神を愛する人 [キリスト教に関すること]


わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。

目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。

神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。

一ヨハネの手紙 4章 19-21節



「ママ大好き」

「パパ大好き」

外国では「大好き」ではなく

「愛してる」という言葉がよくつかわれます。

親は子供たちから「大好き」「愛してる」と言われる前から

親は子供たちを愛していますし、子供たちが大好きです。


親が自分を愛してくれたという証拠は、

いま自分が生きているのが何よりの証拠です。

生まれてすぐに母親は乳を与え、オムツを換え、

少しでも具合が悪くなれば病院に駆けつけます。


夜泣きされ睡眠不足であっても、片時も赤ちゃんから目を離しません。

赤ちゃんは両親に絶対的な信頼を寄せています。


「神様は愛です」

愛は見ることが出来ませんが、

日常の生活から「愛(神)」を感じることが出来ます。


自分の家族、肉親、友人、隣人を慈しみ愛し、

「神様」を感じたいと思います。



自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。


nice!(8)  コメント(0) 
前の10件 | - キリスト教に関すること ブログトップ