幸せになる資格 [心の栄養]
「あんな罪を犯した自分には、
幸せになる資格がない」と
思いつめる必要はありません。
悔い改めて、
同じ間違いを繰り返さないこと。
自分にできる限りのことをして
周りの人たちを幸せにし、
自分自身も幸せに生きることこそ、
何よりの償いだからです。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
キリスト教信者の、「懺悔」あるいは「告解」というのを聞いたことがあると思います。
最近のカトリックでは「回心」ということばに改めています。
今までの「懺悔」「告解」は神に対して犯した罪を悔いるという意味合いでした。が
「回心」には神様に反する道に歩んだと気付いたならば、方向転回して心を神様の方に向けましょう、
という意味があります。
登山をしていて、間違った登山道を進んでしまうと、頂上にたどり着けず
思わぬ災難に遭うかもしれません。その時には引き返す勇気が大切です。
間違いをおかした先には、真の幸せはありません。その人が真の幸せを解いても説得力もなく、道に不案内の人が、道案内しているようなもので、幸せという目的にたどり着くのは難しいでしょう。
先ずは自分が幸せな道を歩もうとしないならば、人を幸せにすることはできない。そのためにはいつも「回心」を忘れず、幸せな方向にハンドルをきる勇気が大切だと解釈しました。
心のハンドルをさび付かせないように気を付けなくっちゃ。
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