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decide for oneself [心の栄養]

信仰とは、ふれることのできる何かではありません。
信仰は、神を礼拝すること、つまり良心の問題です。
どんな宗教を選ぶかは、
自分自身で決めなければなりませんし、
あなたは、あなた自身で決めなければなりません。
わたしにとって、
わたしが生き、神を礼拝してきた宗教は、カトリックです。
わたしにとって、これこそが、わたしのほんとうの命であり、
わたしの喜びであり、
わたしのための神の愛の最高の恵みなのです。
神は、これ以上のものをわたしにくださることは、
おできにならなかったのです。

(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)


親族でカトリック信者は僕だけです。妻は定年退職までカトリック系の施設で働いていましたが信者ではありません。誰にも信教の自由はあり、強制できるものではないと思います。東京の友達が我が家にきて、もし私たちが信者になったら風太郎の点数になるの?と聞かれました。勿論そういうことはあり得ません。北海道に移住し、近所に政教一致の新興宗教を信じている人が多いのに気づかされます。ことあるごとに入信を勧められますが「僕はカトリック信者です」と断ります。

聖書に「神よ、神よ」と祈る人が救われるのではなく、神の行いをなす人が救われるとあります。この炎天下のしたで、被災者のために一生懸命に奉仕活動をなさっている方の行いは、神様が喜んで聴いてくださる何よりも勝る祈りだと思います。

マザー・テレサにとって弱者のために働くことが、神との一致をみる最良の方法であり、神のために働くということが、「苦」は「天国へ行ったときのための宝物」だったのかもしれません。

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