祈りとは [心の栄養]
キリスト者は祈るとき、
いつも静かに座って心を澄ましているかと言えば、
そうではない。
あるときは壁にこぶしを叩きつけながら、
あるときは床を行きつ戻りつしながら祈る。
あるときはヨブのように神と口論し、
あるときはヤコブのように神と格闘をして生涯残る傷を負い、
またあるときは主のみ前でのダビデのように喜びに満ちて踊る。
(クリフォード・ロングレイ)より
祈りは神様との対話でもある。
対話だから喜怒哀楽をあからさまに表していい。
ヨブは神様の言うことを聞かずに自分勝手なことをし
いつも静かに座って心を澄ましているかと言えば、
そうではない。
あるときは壁にこぶしを叩きつけながら、
あるときは床を行きつ戻りつしながら祈る。
あるときはヨブのように神と口論し、
あるときはヤコブのように神と格闘をして生涯残る傷を負い、
またあるときは主のみ前でのダビデのように喜びに満ちて踊る。
(クリフォード・ロングレイ)より
祈りは神様との対話でもある。
対話だから喜怒哀楽をあからさまに表していい。
ヨブは神様の言うことを聞かずに自分勝手なことをし
ヤコブは神様と格闘をして脛を折ってしまう。
ダビデは神様に背いては後悔し、
また戦に買った時には着ているのを脱いで喜び踊った。
日本の教会では見なれないが、
韓国のカトリック教会では
泣きながら祈っている人がいた。
韓国の神父が言うには
「泣きながら祈っている人は珍しくない」という。
笑いながら祈っている人はいないと思うが……
神との対話には多額の献金は必要がなく
ありのまま神の前に心を開けばいいんですね。
神との対話には多額の献金は必要がなく
ありのまま神の前に心を開けばいいんですね。
2024-03-10 14:17
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コメント(1)
>神との対話には多額の献金は必要がなく、ありのまま神の前に心を開けばいい
信仰における真実と謙虚さの重要性は、まさに宗教の真髄ですね。
by いっぷく (2024-03-11 05:37)