長崎原爆投下記念日 [いろいろな思い]
静かな微笑み [心の栄養]
『原爆の子』の映画を作成した、新藤兼人監督から終戦後私が聞いた話です。
広島市には、1951年ごろ、20歳前後の青年男女が非常に少なかったのです。
ほとんどが勤労奉仕に動員されていて、無残にも原爆の犠牲になったのです。
誰もが火傷し、あるいは皮膚が裂ける傷を負いました。
明るい顔で話されるお嬢さんたちの姿に頭が下がる思いがしました。
火傷のために顔の皮膚がひきつってしまったのを、初めて鏡に映して見たとき、
あまりにもひどいケロイドに驚き「死ののう」と覚悟したそうです。
死を思い留まる決心を見い出したということでした。
強い圧迫を感じました。
初めてその原因が分かったような気がしたのでした。
それを乗り越えるための努力を惜しまないようにしましょう。
心に希望を燃え上がらせながら……
そしたら、私達の微笑みにも美しさがにじむようになるでしょう。
「雲の上には太陽がちゃんと照り付けている……」
無駄づかい [心の栄養]
無駄づかい
人間同士がいがみあい、
互いの足を引っ張り合うことこそ、
最大のエネルギーの無駄づかい。
そのエネルギーを、
たがい助け合い
高めあうことに使うなら、
この世界は、
いまよりずっと
よくなるに違いありません。
(片柳弘史著 心の深呼吸より)
全ての人の平和 [心の栄養]
全ての人の平和
「わたしたちの平和を守る」と言うとき、
「わたしたち」が自分の家族のことだけなら、
隣の家族と喧嘩になるでしょう。
自分の国のことなら
隣の国と喧嘩になるかもしれません。
「わたしたち」が地球上のすべての人になったとき、
初めて 平和が実現するのです。
(片柳弘史著 こころの深呼吸)
今日は広島、9日は長崎原爆投下78周年を迎えますが
日本のカトリック教会では、
6日から終戦記念日の15日までを「日本カトリック平和旬間」としています。
日本カトリック司教協議会会長談話
「人間のいのちの尊厳を守るものは」の中でウクライナ戦争
について次のように述べています。
未だに解決の糸口さえ見えないウクライナへのロシアの武力侵攻は、
多くのいのちを危機に直面させ、その尊厳を奪い続けています。
いのちを守り平和を希求する多くの人の願いを踏みにじりながら、
いのちの危機が深刻化しています。
理不尽な出来事を目の当たりにして、
その解決の糸口さえ見えない中で、世界は思いやりや支え合いといった連帯よりも、
暴力によって平和を獲得することを肯定する感情に押し流されています。
暴力を肯定する感情は、国家間の相互不信と相まって、
武力による抑止力の容認につながり、
日本においても自衛の名の下に武力の増強が容認されていることは憂慮すべき状況です。
しかし暴力は、真の平和を生み出すことはありません。
人間の尊厳は、暴力によって守られるべきものではありません。
それは、いのちを創造された神への畏敬の念のうちに、
互いに謙遜に耳を傾け合い、支え合う連帯によってのみ守られるものです。