協力 [心の栄養]
自分を褒めよう。 [心の栄養]
共同祈願 [共同祈願]
幸福も不幸も人生には有益です [心の栄養]
真の宗教とは [心の栄養]
黙っていられる人 [心の栄養]
喜びの反射 [心の栄養]
不滅の宝物 [心の栄養]
鹿さんが昼食に来ました [動物]



共同祈願 [共同祈願]
手を放す [心の栄養]
石北峠でパンク修理 [事件・事故・災難]



気になる猫 [動物]
自問自答 [心の栄養]
自問自答
秋めいてきたこのごろ、空が星いっぱいで輝いていたある静かな夜、
自分自身の心に問いかけました。
私は、抱いている希望のように若く、失望のように老いている。
私の信頼のように若く、疑いのように老いている。
私の心に思えている熱意のように若く、冷淡のように老いている。
口元に浮かぶ微笑みのように若く、ふくれっ面のように老いている。
私の美点のように若く、欠点のように老いている。
私の感嘆のように若く、癖のように老いている。
私の愛情のように若く、恨みのように老いている。
私の優しさのように若く、厳しさのように老いている。
わたくしの喜びのように若く、退屈のように置いている。
そうです、私の心が決めるのだ。
若いか、老いているかを。
私次第です。
体は老いても、心の中はいつも若くありたい……。
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
正に奇遇! [生きる]

ストップのサイン [心の栄養]
ストップのサイン
どんな困難でも
頑張って乗り越えればいい
というわけではありません。
もしその困難が
神様のおいたストップのサインなら、
乗り越えた先には断崖絶壁が
待っているかもしれないのです。
乗り越えようとする前に、
立ち止まってよく考えましょう。
(片柳弘史 こころの深呼吸)より
ネットの語源由来辞典で調べてみたら頑張るとは、
困難に耐え、努力してやり通す。
自分の意志や考えを通そうとする。
とありました。
困難に耐え、努力してやり通す
というのは美化されて
素敵に見えますが
困難にぶつかったら、経験豊かな人や
知恵のある人の助けを求めることも必要だ
ということだと解釈しました。
共同祈願 [共同祈願]
すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り [キリスト教に関すること]
すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り
宇宙万物の造り主である神よ、
あなたはお造りになったすべてのものを
ご自分の優しさで包んでくださいます。
わたしたちが傷つけてしまった地球と、
この世界で見捨てられ、忘れ去られた人々の叫びに
気づくことができるよう、
一人ひとりの心を照らしてください。
無関心を遠ざけ、
貧しい人や弱い人を支え、
ともに暮らす家である地球を大切にできるよう、
わたしたちの役割を示してください。
すべてのいのちを守るため、
よりよい未来をひらくために、
聖霊の力と光でわたしたちをとらえ、
あなたの愛の道具として遣わしてください。
すべての被造物とともに
あなたを賛美することができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
破壊兵器によって、私たちの住居である地球が
日増しに傷つけられていき
同時に多くの避難民が喘ぎ苦しんでいます。
地球は全人類ものです。
一部の国の武力によって破壊されてはいけません。
私たちが生かされているのは、
この自分を必要としている人々がいるからです。
日々の生活に困窮している人々に
寄り添い手を添えた生活をしていきたいです。
共同祈願 [共同祈願]
厚田港朝市に長蛇の列 [なんでも一番]


別荘で思わずストーブを点けました [今日の天気]



犬とその姿 [心の栄養]
犬とその姿
一匹の犬が、喉の渇きを癒すために水たまりに近づきました。
透き通った水の中に映っていた自分の姿を見て、逃げ出しました。
それをほかの犬と間違えて……。
でも、渇きが増すにつれて、何回も水溜りの近くまで行ったが、
犬の姿を恐れて飲もうとしませんでした。
ついにたまらなくなって、水の中に頭を入れたとたん犬の姿が消え去り、
やっと安心して水が飲めました。
この光景を見て私は思わず考えました。
私も自分のことを中心にする限り、人生には深みがないことを……。
どうしても我を折らなければならない時がやってきます。
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
忙しいときにPCがトラブってしまうことがある。
その時に、自分の経験であぁでもない、こうでもないと
やってみるが埒が明かない。
忙しいのに時間だけが経っていく。
一呼吸おいて
ネットで調べてみると「再起動してみてください」
という助言があり
その通りに再起動するとすんなりと元通りになることがある。
自分の思い込みや経験から離れて
やってみることも大事なんですね。
神を常に忘れない [心の栄養]
神を常に忘れないということはーー実に偉大なことである。
口先だけで神の名をとなえるのではなく。
自分の行為の一つ一つを常に神が見守って、
とがめたり是認したりなさっているかのように生きることが肝要である。
ロシアの農民は
「それとも神様のことを忘れたのかね?」という言葉をよく口にする。
(トルストイことばの日めくり)より
目に見えない神様を信じなくても
いま自分しようとする行為を両親、祖父母が
みていたら何というだろうか。
褒めてくれるのか、怒るのか、注意をされるのかを
よく考えてみなさい。
と解釈しました。
暴風雨で臨時休校 [今日の天気]



大荒れの天気でした [今日の天気]


平和の祈り [心の栄養]
サヨリではありません。サンマです。 [食べること]

