青少年の過ちを正す時は…… [心の栄養]
青少年たちはわが子ですから、その過ちを正すときは、
どんな怒りも取り除き、あるいは少なくともそれが消えたかのようにそれを抑えましょう。
興奮した気持ち、軽蔑のまなざし、侮辱的な言葉を避けましょう。
かえって、現状には寛大さを示し、将来について希望を抱かせるようにしましょう。
実際に青少年たちを改めさせることに熱心な、真の父にふさわしく。
ことが重大な場合、熱心に神の前にへりくだって神に祈りをささげる方が、
言葉の嵐を吹かせるよりも得策です。
このような言葉は聞く人に不快感を抱かせるだけで、
非難されている当人には何の効き目もないのです。
(毎日の読書 聖ヨハネ・ボスコの手紙より)
今日はサレジオ修道会を創立した
聖ヨハネ・ボスコの記念日です。
1859年イタリアのトリノで愛と優しさで青少年を教育するために
サレジオ修道会を創立しました。
聖ヨハネ・ボスコは、
本来人間に備わっている良心、神から授かった種を、健全に強く育てること。
それは人間の心は外側からの押しつけや強制によってではなく、
内側から「道理と信仰と愛」によってのびのびと育ってゆくことだと言います。
日本では1925年チマッチ神父を団長として9名が派遣され
現在ではサレジオ高専、大阪星光学院、日向学院、サレジオ教会や
養護施設などで会員が奉仕活動をしています。
賄賂 [ぼやき]
世界こども助け合いの日 [キリスト教に関すること]
自分を受け入れる [心の栄養]
自分を受け入れる。
弱さや欠点から目をそらし、
自分は有能な人間だと思い込むのは、
自己受容でなく、自己陶酔。
自己受容とは、
自分の弱さや欠点を直視し、
弱くて欠点だらけの自分を、
それでもかけがえのない自分として
受け入れるということです。
(片柳弘史著 こころの深呼吸)より
小学生5年生の時に
千葉県館山の海水浴場で溺れそうになった。
当時は学年で背の高い方だったので、
少しぐらい沖に出ても大丈夫と勝手に思い込み
波遊びをしていた。
気がつくと肩の深さまで波がきていて、
時折顔に波のしぶきが掛かり危険を感じた。
慌てて岸に戻ろうとしたが、泳ぎが上手ではないのでなかなか戻れない。
潜水をして歩くようにしながら
波がおへその高さまでやっとたどり着いたときには安心した。
正に泳ぎが上手で無い自分を受け入れず
ただ、少し背が高い自分に自己陶酔してしまったことを、
いまでも忘れられない。
心筋梗塞!!! [生きる]
金持ち [心の栄養]
言葉や舌先だけでなく、行為と事実によって愛するために、金持ちはそれを望む者に施しを与えなければならない。とこのようにキリストは言われる。(マタイ19章16か-22参照)。
しかし望むままに施しを与えていたら、その人間にどんなに財産があったとしても、その人はまもなく金持ちではなくなってしまうだろう。ところが、金持ちでなくなった途端にキリストが裕福な若者に言われたことを、その人は実行するようになるだろう。
(トルストイことばのひめくり)より
トルストイは下記の聖書のことを言っています。
金持ちの青年
16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
イエス様は金持ちはいけないとは言うのでは無く、
必要以上にお金があるならばそれを困っている人に分けてあげなさい、といっています。
百億円持っていたとしても、それが会社などを維持するために必要なお金ならば
そのために使ってしまえばゼロ円になってしまいます。
お金持ちで、世間的に見て、公徳心があり、礼儀正しく、親孝行で非の打ち所がない
と言われている人が
困っている人に目もくれないならば、神様はその人を残念に思い悲しまれる。
目に見える財宝は消えてしまうが、施しは心の喜び、善意という宝です。
この財宝は神様の御旨にかなうことで、永遠に無くなることがないと解釈しました。
昨日は結婚記念日でした [今日の天気]
苦しみや楽しみの対症法 [心の栄養]
(渡辺和子著 面倒だから、しよう)より
本当の勇気と強さ [心の栄養]
人間はしばしば怒りに屈して、怒りをこらえようとはしないが、
それは怒りの中に何か勇気のようなものが含まれていると考えるからである。
それで、俺は容赦しないで大目玉をくらしてやったなどと豪語する。
しかし、これは嘘である。
怒りに身をまかせない為には、怒りにはいいことなどは何もないし、元々そんなものはあり得ない。
怒りは----力のしるしではなくて、弱さのしるしであることを銘記する必要がある。
怒りに任せて殴り合いをしたり、あるいは弱いもの、女や子供に手を振り上げたり、
あるいは殴る相手が犬や馬である場合でも、
その人間はそうする事によって力ではなく、弱さを示しているのである。
(トルストイ ことばのひめくり)より
柔道、ボクシング、レスリンなど格闘技を習っている人は
それを喧嘩や諍いに使ってはいけないと言います。
それでもし喧嘩などで襲おうてきたら
受け身の術でかわすのだそうで
叩かれても我慢するのは相当な勇気と強い精神力が必要です。
無抵抗の民間集合住宅にミサイルを撃ち込む人に
同国のトルストイことばを聞かせてあげたいです。
褒め言葉 [北国での生活]
褒められて嬉しくない人はいないでしょう。
褒め言葉を使うことは、
人間関係を良くするためのもっとも直接的効果的な方法です。
お世辞とは別のものです。
褒め言葉は真実のことを本心からいうのに対して
お世辞は心にもない事を口先だけでいう言葉を指します。
さらに褒め言葉は相手の良い点を発見し、
理解し知らせてあげる没我的な心から発しますが、
お世辞は自身の為に利己的な心から発するものです。
また褒め言葉と言うと、何かおーきな立派なことをした時でなければ
使うものではないと考えている人がおりますがそうではありません。
どんな小さなことでも皆さんが「いいなあ」と心に思った真実のことを
すぐ口に出してあげれば、それでよいのです。
「綺麗な字を書く人だなあ」と思ったら、そのことを……。
「親切な人だなあ」と思ったら、そのことを……。
褒め言葉こそ一番感じの良い響きですとギリシャ人は言っています。
(ステファノ・デランジェラ著「落ち葉」より)
上野公園の鳩の群れの中に片足の鳩が居ました。
餌をばらまくと、足の不自由さを感じさせず
とても上手に喰いつばんでいます。
褒めてやりたい!!
この世での一番大事な仕事 [心の栄養]
大雪、猛吹雪注意!と道知事も呼びかけ。 [今日の天気]
時間を愛に変える [心の栄養]
時間を愛に変える。
自分だけの為に使った時間はあっという間に流れ去り、
どこかに消えていきます。
誰かのために使った時間は愛に変わって、
いつまでも心の中に残ります。
自分のために使えば失い
誰かのために使えば残る。
それが時間の不思議、人生の不思議です。
(片柳弘史著 こころの深呼吸)
通学時の子供見守り
冬は厳寒の中で足踏みをしながら
手袋を二重にして旗を振り通学路の安全を守る。
約1時間だが、自分のために使ってしまえば
子供達の笑顔が見られない。
子供達の「おはようございます」という曇りの無い笑顔は
いくらお金を積んでも見られるものでは無い。
時間を愛に変えるという意識は無かったが
結果的には子ども達の素朴の笑顔が
愛の表現なのかもしれない。
狭心症!強心症? [健康]
何ができるか [心の栄養]
何ができるか
物事が自分の思った通りにならないとき、
いらだって周りの人に当たり散らせば、
状況はますます悪くなるばかり、
現実を冷静に受け止め
「この状況の中で
自分に何ができるだろう」と考えれば、
状況は必ず良くなります。
(片柳弘史著 こころの深呼吸)
風太郎は、物事が一発で上手くいかないことがままある。
物事が上手くいかないのは、準備不足、知識が浅い、情報不足などなど。
全ては自己責任。
他人のせいでは無い。
だから、この手段でダメなときには、別な方法でやってみようと
2段3段構えで準備をする。
一発で物事が上手くいくときには、嬉しい。自分を褒めてやりたい。
自分の思ったとおりにいかないときに当たり散らすのは
自分の心の中はうぬぼれ、高慢で満ちており
謙虚さが無いからでは無いだろうか。
悪友を警戒する [心の栄養]
ドカ雪 [今日の天気]
微笑みを浮かべて [心の栄養]
手をつないで生きていく [心の栄養]
人間がバラバラになって生きて行くことを、
どうやら神はお望みにならなかったらしい。
そのために神は人間に、
各自が自分のために必要とするものをお教えにならず、
人間が手をつないで生きていくことをお望みになった。
それで神は人間に、すべての人にとって、
自分のためにもまた万人のためにも必要であることをお教えになった。
「トルストイことばのひめくり」より
動物は握手も出来ないし、手を繋いで和気藹々と歩くことも出来ない。
神様は、
人間はお互いに愛し合い、寄り添い、手を繋ぎ合って生きていくことを
お望みになりました。
もし握手も手を繋ぐこともしたくない人がいる、と思うならば
その人も役目をもって人生を送って居るので、不可欠な人であることを
神様はトルストイを通して諭しているのでは無いかと思います。
恥じる必要のない事柄 [心の栄養]
恥ずべき事柄 [心の栄養]
体重落としたいのだが…… [モッタイナイ]
死 [心の栄養]
新年会 [北国での生活]
物乞い [心の栄養]
最高の善 [心の栄養]
(旧約聖書シラ書40章18~27節)
悪のもたらす結果 [心の栄養]
タラバガニ鍋 [食べること]
人間に共通する惨めさ [心の栄養]
死後の世界を誰も見たことが無いから死が怖い。
神とその業の賛美 [心の栄養]
その救いの力を弱める者はだれもいない。