人は謙虚で無ければならない [心の栄養]
イエスは、
招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。
「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、
『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。
そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
そうすると、あなたを招いた人が来て、
『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。
そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
(ルカ14章7節-11節)
風太郎は遠出したときに、その地方の教会のミサに与るときがある。
教会に入り、聖歌集や祈祷集など、
その日の典礼に使う物がどこにあるのか分からない時
末席に座っている人が初めて来た人だと分かると
聖歌集や祈祷集をおいてある棚に案内してくれ、
空いている席に先導してくれる。
殆どの教会の役員は、入り口近くの末席にいて
ミサに与っている人に不都合があったっ場合には
すぐに対処できるように常に気を配るようにしている。
教会の役員は仕える人なのです。
だから常に人を使う人は、役員に不向きで、
常に人に仕える人が、役員になるのがふさわしいのです。
当時、イエスの上席に着かず末席に座りなさい、というたとえ話を聞いて
常に上席を好む上級管理職、学者、高慢な人、為政者、地位のある人は
イエスの教えに徐々に反感を持つようになります。
なぜなら、道徳的には当たり前のことですが、
謙虚さがない彼らには目の上のたんこぶだったのです。
そして次第に殺意を抱きはじめ、
無実のイエスを審議する前から「死刑」という前提で裁判にかけ
十字架に磔にしてしまいました。
謙虚さがない人が、権力を握るといかに恐ろしいことかと
このたとえ話で思いました。