道義的責任 [キリスト教に関すること]
ルカによる福音書 6章 38節
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、
ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
今日のミサで朗読される聖書の一部です。
ここでいう量りとは、
人それぞれの立場にある良心から出る深い憐れみと思いやりと解釈しました。
良心は神からの声です。
先日の大雪で道路は雪解け水になっているところがあります。
速度を守って走行していても、
場合によっては泥水を跳ねて歩行者にかかるかもしれないので
速度を落として走るのが思いやりです。
速安全運転義務違反になるから、と走行注意するのもいいですが
神様はそれ以上のことを望んでおられます。
為政者の自分たちの行為が「法的には何ら問題無い」という
弁明を聞くことがあります。
また会社で人の上に立つ人が、
社内規則を守っている範囲であればどんなことでも許される、と
旨をはっている人がいる限りその会社は伸びません。
法律・校則・社内規則・道路交通法などは最低限守るべき決まりごとで
それを遵守しているからと、
言い訳をしたりするのは良心に逆らっていませんか。
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
憐れみと思いやりの量りをもって行動すれば、
愛である神様は、その量り以上のお恵みをくださると解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。