ことばは平和の道具 [心の栄養]
平和の祈り [心の栄養]
Peace in the world [心の栄養]
自分の命 [心の栄養]
信仰と行い [心の栄養]
神様からの勧め [心の栄養]
神の似姿を見る [心の栄養]
みんなの人を一度に愛する [心の栄養]
あなたがたは、
ふたりの人を一度に完全に愛することはできません。
でも、あなたがたが、
みんなのうちにおられる、ひとりのイエス様を愛するなら、
みんなの人を一度に、完全に愛することができるでしょう。
(女子パウロ会 マザー・テレサ100の言葉より)
人を愛するということは、神様を愛するということなんですね。
今まさに出会っているその人が [心の栄養]
誰かに愛をもたらしたいと思うなら、
その人に、密接にかかわらなければなりません。
もし、数を求めるなら、
ただ一人の人に愛と尊敬を持って接する代わりに、
数の中に自らを失ってしまうでしょう。
わたしは、人と人との間に起こることの存在を信じます。
ひとりひとりの人は、私にとってキリストです。
そしてその人のうちには、
ただひとりのイエス様がおられるのですから、
今まさに出会っているその人が、
そのとき、わたしにとってこの世界におけるたったひとりの人なのです。
(女子パウロ会 マザー・テレサ100の言葉より)
神様は一人ひとりの中におられます。
だから困っている人や弱者を助けたときに、
よく私を助けてた、と
神様は感謝して微笑みを浮かべていることでしょう。
神様を信じなくても、助けを必要としている人に出会ったら
この人に、
最愛の亡くなった人の魂が宿っていると思ったらいかがでしょう。
私にとってたった一人のひと [心の栄養]
一人ひとりが、わたしにとって、
この世界におけるたったひとりの人です。
(女子パウロ会 マザー・テレサ100の言葉より)
まさに一期一会ですね。
今日お会いする人は、例え明日お会いした同じ人であったとしても、
昨日と同じ人ではありません。
何故なら、顔かたちは同じでも、昨日と違った新鮮な思いで接してくれる、
世界におけるたった一人の人ですから。
そういう気持ちを自分自身に言い聞かせて、
今日お会いする人と今日一日を過ごしたいと思います。
わたしは神様の鉛筆です [心の栄養]
わたしは神様の鉛筆です。
そのわたしを使って、
神様が、ご自分のお望みになることを、
お書きになるのです。
(女子パウロ会 マザー・テレサ100の言葉より)
僕たちが移住してきたのは13年前の11月初旬、
引っ越し荷物の整理も付かないうちに雪が降り始めました。
雪除けのスコップを売っている店も分からないので、
家を建ててくれた業者に頼んで買ってきてもらい、雪かきをする。
隣の家との境目迄やり終わったら、
ついでだからスコップひと幅くらいはやってあげようと、隣の家の雪かきをしました。
スコップひと幅の雪かき後を見たら中途半端で納得いかない。
結局隣の家の玄関まで雪かきをしてしまった。
隣の人と顔があった時に、「自分の家の前は気を使わないでください。」と恐縮していた。
それから月日が流れ、今では隣のご主人が我家の駐車場、
前の家の老夫婦が住んでいる家の玄関前で雪かきをして下さいます。
近所の人たちも自分の家の周りだけでなく、
手が空いている時には道路やゴミ集積所周辺の雪かきをします。
これは神様が鉛筆の代わりにスコップを持たせ、
神様がお望みなることをなさったのではないでしょうか。
その行いに愛を込めて [心の栄養]
大切なのは、わたしたちが何をするのかということではなく、
どれだけの愛を、その行いにこめるかということです。
小さなことでも、大きな愛をもって。
(女子パウロ会 マザー・テレサ100の言葉より)
「ありがとう」という短い感謝の言葉でも
心がこもると心の響きが違います。
記録的な大雪 [北国での生活]
一滴の水に過ぎない [心の栄養]
わたしたちのしていることが、
大洋の中の一滴の水にすぎないことを知っています。
でも、このひとしずくがなければ、
その大洋に、ひとひずくの水が足りないことになるのです。