財貨で自分の命は救えない [キリスト教に関すること]
(イエスは)一同に言われた。
「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほど物を持っていても、
人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
それから、イエスはたとえを話された。
「ある金持の畑が豊作だった。
それから、イエスはたとえを話された。
「ある金持の畑が豊作だった。
金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と
思い巡らしたが、やがて言った。
『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
しかし、神は、『愚かな者よ、今夜お前の命は取り上げられる。
お前が用意した物は、いったいだれのもになるか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
(ルカによる福音書12章15-31節)
貪欲は魂を悪魔に売り渡し、その奴隷となります。
貪欲は満足を知りません。
使いきれない財貨を持っていても、
欲しいものがあると殺傷してでも手に入れようとします。
手に入れた財貨を盗られないように
気が休まることがありません。
なのに 死ぬ時には1円も持っていくことが出来ないなんて
哀れです。
この世の命は有限です。
有限であるこの世にいる間に
永遠の命に役立つ宝を蓄えたひとは賢明です。
と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
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