自分の十字架を担う [キリスト教に関すること]
人の求めるものをすべて知っておられる父よ、
真実の生き方を問い続ける力をわたしにお与えください。
「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい」
という主の呼びかけのうちにまことの光を見出すことができますように。
「聖書と典礼2020.6.28」集会祈願より
十字架のイメージは苦しい磔の死刑です。
イエス・キリストは私たちのために十字架にかけられました。
集会祈願で唱えおわり思い浮かべたのは、
コロナ感染者のために、
我が身を顧みずに死を覚悟で働き続ける医療従事者です。
今日の十字架の意味は、
イエス・キリストが私たちのために御父に従い十字架にかけられたように
神様からみてよいとされる行動を、苦しいなかにも実行する、
ということだと思います。
知識や理論によって行動するのではなく、
見返りを求めない積極的な愛の言動を人にすれば
神様は喜ばれます。
医療従事者を励まそうと、種々多々のことがされています。
医療従事者にお弁当の差し入れや、マスクなどの手作りの医療用防護服、
ネット配信の演奏会なども神様が喜ばれる「十字架」です。
十字架は「苦しい、痛い」などの暗いイメージがありますが、
人のために苦しんだり、自己犠牲することによって慰められ喜ぶ人が居る、
その姿を見て自分も癒され、生かされている意義を見出すことが
「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい」
ということだと解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
コメント 0