SSブログ

人生の旅路 [心の栄養]

人生の旅路には、

人間の一生、それは自分で計画したものではなく、

それを超える力によって導かれてきたものという含みがあります。 

旅路には人生をふりかえって、

その足跡を辿るものというイメージがつきまといます。

神秘的で、

人の力や計画ではコントロールできない要素を多分に含んだ人生というものをどう捉え、

これからそれとどのようにつき合ってゆきますか。

人生の旅路には、

人間をこえたものに頼ることと、

他方で自助努力も欠かせません。

この拮抗した関係において、神さまにすべてをゆだねる術を学びたいです。

自力と他力、努力と信頼、頑張りと委ね、

この人生におけるバランスと神秘に身を委ねながら、

どうかこの世での旅路を歩ませてください。

(心のともしび 古橋 昌尚)より

人生の旅路
自分の人生の旅路なのに
自分の意志を超えた力、計画によって
目的地に向かっているような気がします。
IMG20220428132921.jpg

nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

共感 [心の栄養]

良い話し相手になるためには、

悩む人の思いに共感し、

静かに頷くことで、

自分を回復に導く内なる力を引き出すことが大切です。

 一人で考えるより対話する人がいることで、

気持ちが楽になることがあります。

本心を話せる人と出会えることは希望の糸口になり得ます。

(心のともしび 服部 剛)

この人なら相談に乗ってくれそうだと思い
悩みや困っていることを相談することがあります。
真剣に話を聴いてくれ、一緒に悩み、解決の糸口を手繰ってくれる人もいます。
しかし、なかには上の空で「うん、うん」とわれ関せず
という顔の表情で聞く人もいます。
そういうときの心の虚しははかり知れません。
相談したことへの後悔が残るのみです。 
相談を持ち掛けられたら、
相手のみになって共感し、
親身になって聞いてあげることが大切なんですね。

たとえ相談相手の解決口にならなくてもです。
rwDvrm2ARpOcY_VaExgNaw.jpg

nice!(18)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

死後の再開 [心の栄養]

死は、

この世界との別れの時であると同時に、

先に向こうに行った人たちとの再会の時でもある。

あちらの世界がどんなものなのか想像もつかないので、

ちょっと怖い気もするが、

先に行った人たちとの再会を想像すると、

何かとてもうれしい気もする。

彼ら彼女たちと再会したとき胸を張って話すことができるように、

これからの人生の日々も精いっぱいに生きてゆきたい。

(心のともしび 片柳 弘史 神父)


この世では先に逝った人たちに
墓参や祭壇や仏壇に飾ってある写真などで
自分の思いを寄せることができますが、

あちらの世界に行きますと
あったこともないご先祖様にも会うことができます。
そう考えると
「死」も楽しみです。

IMG20230814133656.jpg


nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

派閥の政治資金規正法違反事件 [事件・事故・災難]

派閥の政治資金規正法違反事件で4時過ぎから党紀委員会が処分を発表するらしいが

すでに堀井学事務所の前には既に報道記者が待ち構えている。

堀井学のどのような処分が下されるのか分からないが、
報道で知る限り処分だけが先走っている。
キックバックされたお金はどうなったの?、
もし脱税行為だとすれば追徴金は?
キックバックされるようになった原因は?、
国会議員時代の事件なのに辞職すれば責任を問われないのはなぜ?等々、
税務署から脅かし半分で2500万円の
追徴課税された身としては納得がいかない。
IMG20240404144018.jpg

堀井学事務所のまえに屯する報道陣

nice!(20)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

夫婦への勧め [心の栄養]

1 妻たちよ、自分の夫に従いなさい。

夫が御言葉を信じない人であっても、

妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。

 2 神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。

 

7 同じように、夫たちよ、

妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、

命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。

(ペトロ一 3章1.2.7節)


IMG20210911114108.jpg


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

死は肉体を滅ぼすがいのちは永遠 [心の栄養]

死をどのように見るか――それによって、

その人の生き方は、形造られるのかもしれません。

多くの人は、死を恐れているのでしょうか。


 しかしかつて、マザー・テレサは、こう語りました――

「もしも、死は神の家に帰ることだと正しく説明されれば、

死を恐れることなどなくなるのです。」

彼女が語る「神の家」とは、いったい何なのでしょうか。

またこの安らかさは、いったいどこから来るのでしょうか。



 カトリック教会の葬儀ミサにおいて、次のような祈りが唱えられます。

「キリストのうちにわたしたちの復活の希望は輝き、

死を悲しむ者も、

とこしえのいのちの約束によって慰められます。

信じる者にとって死は滅びではなく、

新たないのちへの門であり、

地上の生活を終わった後も、

天に永遠の住みかが備えられています。」

つまり、この世での死は、

生命の終焉ではあってもいのちそのものの終わりではなく、

一つの通過点にほかならない、ということでしょうか。

(心のともしび 竹内 修一 神父)より



人の死の表現として
他界
あの世
極楽往生
昇天
帰天
などといいます。

円覚寺の管長日記に死について次のようにあります。

死とは何か | 臨済宗大本山 円覚寺 (engakuji.or.jp)

「赤い風船が針で刺されて破れても心配はいらない。

中の空気は外に出て行き、お空の空気と合流するだけ。

いのちも同じで人は死んでも終わりにならない。

大きないのちと合流しまた新しいいのちが生まれる。」

という話しだったのでした。

そこで和尚は
「人が死に直面したとき、いのちとは何かを真剣に考える。

死は肉体を滅ぼすがいのちは永遠ということに気づく人も多い。

すると死の恐怖感から解放されるんです。」と書かれていたのでした。

古いノートに書き写した話です。

肉体と霊魂が一体の時に善行をしておかないと
死んでからは出来ません。
あの世で神様に喜ばれるお土産を
この世で沢山準備したいと思います。


2Wut4L5jQcaNetCWhK6X3g.jpg

nice!(17)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「生飯」(さば) [心の栄養]

島根県出雲の山の中にある禅寺に高校生の修養会に出掛けました。

お寺の和尚さん達に坐禅・食事・掃除などの指導を受けます。

 本堂での講話で住職と神父の二人が高校生に向き合います。

もう47年目の学校行事なのです。
 食事・精進料理を頂く作法の中で、ひときわ心打たれる作法がありました。

食前のお経の後、

それぞれが自分の食べるご飯から、

先ずこの世の食事が食べられない人々の為に、

箸で一掴み別のお皿に分け置くのです。

お寺の方がそれを集めて行かれます。
 自分が食べる前に自分の食べる分を食べられない人々の為に分ける。

これは「生飯」(さば)と呼ばれる作法・修行だそうです。

 高校生の顔が輝いています。

釜ヶ崎で見た現代日本の、

そして世界の現状の扉を開く、

一瞬の光が差し込んで来ました。

(心のともしび  林 尚志 神父)より


私が幸せのなかにあっても

困っている人たちのことを忘れることがありませんように

IMG20211014131409.jpg

nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

千の風になって [キリスト教に関すること]

・戦争や環境破壊による世界と命の危機に目を向けさせてください。


主の復活の光の中で平和と共存のために共に働くことができますように。



・期待と不安の中で新年度を迎える若者や子供たちが、

神の働きに信頼し、


実り豊かな生活を送ることができますように。


(聖書と典礼2024.3.31)より


「千の風邪」の次のような歌詞があります。

♫ 私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹き渡っています


昨日カトリック教会は復活祭をお祝いしました。
亡くなったイエス様は復活されたのです。
これは信仰によって信じます。
復活されたイエスさまは、
多くの苦しみや悲しみ、困難にあっている人たちを
励まし助け奮い立たせるために
わたしたちの周りを飛び回っています。
わたしたちのために死んでなんか居られないのです。
復活して四六時中私たちから
片時も離れることはありません。

IMG20240326121112.jpg

自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。

nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感