道の駅「足寄湖」 [道の駅]
9月30日 道の駅「足寄湖」
3時前ですが、まだ陽射しが強く空は果てしなく青
以前に来た時には丘の上に道の駅舎があったので、そのつもりで行きました。
駐車場にはホタテ貝殻文字、車は僕の1台だけ
足寄湖が見えます
スタンプを押そうと駅舎に行くと何やら文字の張り紙
閉鎖中
駅舎の売店には特産の乳製品などが売られていましたのに残念
駅舎の売店には特産の乳製品などが売られていましたのに残念
扉の文字には、道の駅のスタンプ台は公衆便所の隣とありました
まるで掘っ立て小屋で、扉を開けた瞬間にまるでサウナ風呂
急いでスタンプを押して出てきました
まるで掘っ立て小屋で、扉を開けた瞬間にまるでサウナ風呂
急いでスタンプを押して出てきました
2014年5月時の道の駅足寄湖
駐車場の奥に足寄湖が見えます。公衆便所はそのままですがその横に駅舎が建っていたのです
移住して10年たちますが、道の駅は状況が変わってきました。
地域の特産品や名物などが展示されていましたが、
それが撤去され共通しているのは「ソフトクリーム」の販売、
特産品の売り場は休憩所かソフトクリーム食べ処か閉鎖されています。
地域の特産品や名物などが展示されていましたが、
それが撤去され共通しているのは「ソフトクリーム」の販売、
特産品の売り場は休憩所かソフトクリーム食べ処か閉鎖されています。
最近出来た道の駅は、おしゃれで都会並みの食堂が入り
地域の「色」が薄れてきています。
地域の「色」が薄れてきています。
死者は天地を結ぶ交わり [共同祈願]
主よ、
すべての死者とその家族を心にとめ、
天地を結ぶいのちの交わりへと招いてください。
ともに、
永遠の喜びに導かれますように。
(聖書と典礼2019.11.3)より
11月はカトリックでは「亡くなった人のために祈る月」です。
某司祭は葬儀のミサで
「周りの人が亡くなってしまうのは寂しいですが
亡くなった人は、先に天国で私たちのために準備してくださっています」
某司祭は葬儀のミサで
「周りの人が亡くなってしまうのは寂しいですが
亡くなった人は、先に天国で私たちのために準備してくださっています」
と説教していました。
それを聞いたときに、寂しさ、悲しみが半減しました。
晩秋 [景色]
先月16日のブログでは緑の葉が幅をきかせていました
あれから1か月半
太陽光パネルの周りは紅葉の盛りがすぎた樹木で覆われています
太陽光パネルの周りは紅葉の盛りがすぎた樹木で覆われています
新登別大橋の上から観光客が下をのぞき込んでいましたが
僕には下を覗くのに少しの勇気がいります。
僕には下を覗くのに少しの勇気がいります。
他人の賞賛を得る為の行為はいけません [心の栄養]
他人の賞賛をあなたの行為の目的ではなく、
その結果とすることである。
ただひたすら神のために生きるように自分を慣らすためには、
だれにもけっしてわからないようなことをするがよい。
そのようなことだけをしていれば、
あなたは特別な喜びを知るようになるだろう。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
マタイによる福音書/ 06章 03節には
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」
とあります。
とあります。
複数の大型台風で激甚災害を受けている地域が沢山あり、
そこには、大勢の人が奉仕活動に携わり、災害の苦しみをを分かち合っています。
奉仕者は賞賛を得る事などのみじんも考えていないでしょう。
同じ日本人として、できることをしなければならない、という隣人愛が
原動力になって被害地に赴き尽くしています。
原動力になって被害地に赴き尽くしています。
僕は、何の手助けも出来ませんが、
無事に任務を果たせるように神様に祈ることはできます。
一日も早く、被災者が通常の生活に戻れますように。
十年一昔…。さて十年後は? [いろいろな思い]
今日で移住して10年目。
ますます歳のせいでしょうか寒さが身に応えます。
大半が役所退職者が住んでいるので、我家一角は役所通りと言われています。
この十年で、4人が亡くなり、子供が3人生まれ、5所帯が新築住宅で越してきました。
小学生が2人は高校生になり、小学生はいなくなり寂しくなったのもつかの間
今では小学生と保育園児含めて7人、高校生5人、平均年齢は下がっています。
今では小学生と保育園児含めて7人、高校生5人、平均年齢は下がっています。
越してきた当時、風太郎は若い方でしたが、今では年長者の仲間入りです。
果たして10年後はこうやってブログを書いているか、
お楽しみに