自然のお恵みを享受する権利 [キリスト教に関すること]
この世界の人間は誰でも
この世界の自然の恵みを享受する平等の権利と
尊敬を受ける平等の権利を持っている。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
人は皆神様の子供です。
善人も悪人も神様は愛されていますので、
等しく星空を眺めさせ、雨を降らし、太陽の恵みを与えます。
善人だけに星空を眺めさせ、
悪人には太陽を浴びせさせないことはありません。
それは、善人はより善業を行うことによって神の望まれることを果たし
悪人は悪事を反省し、
神に心を向けるようにさせるためではないでしょうか。
「二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、
地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
だから、恐れることはない。あなたがたは、
たくさんの雀よりも優れた者である。」
日本聖書協会 マタイ10章29-31節
アサリオンという1単位は50円から100円ぐらいです。
神様は、小さな雀の被造物さえ気を遣ってくださいます。
ましてや神の似姿に造られた人間は、
どんな悪を行った人にも平等に自然のお恵みをくださいます。
自分の義務を果してこそ、権利を主張することができる、
と言われていますが、
神様は、人が権利を主張する前に、自然のお恵みを与えてくださいます。
それは人間が回心(心を神様の方向に向ける)して、
神様の望まれることをおこない、
平和に過ごすことができるように、という神の願いでもあると思います。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
日本26聖人 [キリスト教に関すること]
2月5日はカトリック教会では「日本26聖人」を記念します。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本二十六聖人 | |
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日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」[1]
(記念碑の建物は日本二十六聖人記念館) |
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殉教日 | 1597年2月5日(慶長元年12月19日) |
殉教場所 | 長崎 |
処刑方法 | 磔 |
崇敬する教派 | カトリック教会、聖公会、ルーテル教会他 |
列福日 | 1627年9月14日 |
列福場所 | ローマ |
列福決定者 | ウルバヌス8世 |
列聖日 | 1862年6月8日 |
列聖場所 | ローマ |
列聖決定者 | ピウス9世 |
記念日 | 2月5日 |
1597年1月3日大阪・京都で捕えられた外国人のフランシスコ修道会宣教師6人、イエズス修道会宣教師3人、それに職業様々な日本人と子供の15人は耳を切り取られ、翌日4日は厳寒のなか見せしめのために、キリシタンが多い1200km先の長崎へ徒歩で連行されます。
途中で、同情した2人が殉教に加わり26人になりました。
長崎に着くと十字架の磔刑に処せらますが、いままさに槍に突かれようとしているときに見物人に向かって
フランシスコ会士パウロ三木は
「今このような時を迎えて、わたしが偽りを語るとは、どなたも思わないでしょぅ。
ですからあなたがたに宣言します。キリスト者たちが信じている道のほかには、
救いへ導く道はありません。キリスト教がわたしに、敵をゆるし、わたしに害を及ぼしたすべての人をゆるすように教えているので、関白殿と、わたしを死刑に処するすべての人を喜んでゆるし、キリスト教の洗礼を受けることを決心するように彼らに願います」(毎日の読書より)と言いました。
ですからあなたがたに宣言します。キリスト者たちが信じている道のほかには、
救いへ導く道はありません。キリスト教がわたしに、敵をゆるし、わたしに害を及ぼしたすべての人をゆるすように教えているので、関白殿と、わたしを死刑に処するすべての人を喜んでゆるし、キリスト教の洗礼を受けることを決心するように彼らに願います」(毎日の読書より)と言いました。
日本26聖人の十字架の磔ばかりでなく、日常的に十字架を背負って生きています。
友達からのあらぬ誤解による恨みや嘲笑などもそうです。
恨みには恨みを持って返しても解決にはなりません。
これは、神が与えてくださった十字架だと、赦し耐え忍ぶことも大切です。
神は、時機を見て相手にわからせてくれるでしょう。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
言葉の威力 [キリスト教に関すること]
正しき者の口は命の泉
悪しき者の口は暴虐を隠し持つ。
日本聖書協会 箴言/ 10章 11節
善人の口から発せられる言葉は、
希望・喜び・期待感・慰め・奮起・笑い・より良い絆など
まさに湧き出る命の泉です。
悪人からでる言葉は、この上もない、悪意・失望感・無力感を与えるなど
目に見えない最強の暴力です。
と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
誠意をもって話を聴く [キリスト教に関すること]
目くばせする者は人を苦しめ
唇の愚かな者は滅びる。
日本聖書協会 箴言/ 10章 10節
真剣に話をしているのに、
相手はよそ見したり、
容姿端麗なひとに眼をやったり
或いは仲間に目配せをして、何らかの支持を与えたりしたことを思い出す。
これは、真剣に話をしている人に対して、
屈辱を与えるばかりでなく大変失礼です。
口は禍の元、であってはならない。
一言一言誠意をもって応えることが大切、
と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
悪は表ざたされます [キリスト教に関すること]
誠実に歩む人は安らかに歩み
道を曲げる者は思い知らされることになる。
日本聖書協会 箴言 10章 9節
神様ののぞまれることを行い、
周囲からも後ろ指をさされることのない人は
疚しいことがないので、日々の生活は幸せです。
しかし、隠れて悪を行う人は、
いつしかそれが表ざたにされ
赤恥をかくことになる、ということだと思います。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
知識を増す方法 [キリスト教に関すること]
心に知恵ある人は戒めを受け入れ
唇の愚かな者は滅びる。
日本聖書協会 箴言 10章 8節
戒めや教えを受ける時に、
素直に受け入れる人は、生きていく知識がますます増していきますが、
反抗的な態度で授業受けたり、親の言うことをや先輩、上司の指導、忠告を
侮って聞いる人には、自分の人生の破滅しかありません。
ということだと思います。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
正しき者と悪しき者 [キリスト教に関すること]
正しき者の頭には祝福があり
悪しき者の口は暴虐を隠し持つ。
正しき者を覚えることは祝福に
悪しき者の名は滅びに至る。
日本聖書協会 箴言 10章 6節-7節
日々の行いが、神様の望まれることをしている人には神様の祝福が豊かにあり
その結果、人々からも好感が持たれます。
その結果、人々からも好感が持たれます。
しかし、悪口、暴虐など、神様ののぞまれることと反対の行動をする人は
その行為が見つからないようにと、いつもビクビクしています。
その行為が見つからないようにと、いつもビクビクしています。
この世を去ってからも、
世のために尽くした人の名は、後世にわたって祝福され尊敬されますが、
悪を働いた人の名は忘れ去られ、滅んでしまう。
世のために尽くした人の名は、後世にわたって祝福され尊敬されますが、
悪を働いた人の名は忘れ去られ、滅んでしまう。
と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
世界こども助け合いの日 [キリスト教に関すること]
26日の日曜日は、カトリック教会では
「世界こども助け合いの日」として、世界中の献金は子供たちのために使われます。
誰でも子供の時があり、多くの人たちに支えられ助けられて成長することができました。
日本をはじめ、世界中の子供たちの中には一生懸命勉強したいという夢を捨て
家計を助けるために働いる子がいます。
すべての子どもたちが、
神からの恵みとして大切に育てられ、
一人ひとりが神の愛を行う人として健やかに成長できますように。
(聖書と典礼20201.26より)
11月25日後楽園ドームにて
聖書と典礼2020.1.26より
勤勉に蓄える [キリスト教に関すること]
怠惰な手のひらは貧しく
勤勉な手は豊かになる。
悟りを得た子は夏のうちに集め
恥をもたらす子は刈り入れ時に居眠りをする。
日本聖書協会 箴言/ 10章 4節-5節
イソップ物語のアリとキリギリスの話を思い出します。
「時は金なり」でないですが、過去でも未来でもなく
いまこの時を大事に生きなければいけません。
不正をして得た金は、自分を滅びへと導きます。
不正なお金を得た時には、心が盲目になっているので
欲望のままに使い果たします。
これではキリギリスと変わらず、いざという時のために蓄えたことになりません。
もし不正で得た財産でも、いざという時に困窮者のために使うならば
まだ救いようがある、と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。
不正に得た宝は役に立たない [キリスト教に関すること]
不正に得た宝は役に立たず/正義は人を死から救い出す。
主は正しき者の魂を飢えさせず/悪しき者の欲望を退ける。
日本聖書教会 箴言/ 10章 2-3節
会社のお金を不正に自分のために流用したり、
知人や友達をだましてお金を得たとしても、
それは死に金であってその人に役立つことはありません。
たとえ、役立ったように見えても、
それは自分の思い込みや自己満足に過ぎず
神様は、その人に虚しさを与えます。
神様は、正しい人を決して見放すことなありません。
見放されたように見えても、
正義を全うしている人には、神様は失望させることはない
ということが、時間がたつにつれわかります。
と解釈しました。
自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。