神の言葉を聞いて実践す [心の栄養]
19 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。
だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
20 人の怒りは神の義を実現しないからです。
21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、
心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。
この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
22 御言葉を行う人になりなさい。
自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
23 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、
その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
24 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、
すぐに忘れてしまいます。
25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、
これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。
このような人は、その行いによって幸せになります。
26 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、
自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。
27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、
世の汚れに染まらないように自分を守ること、
これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
(ヤコブの手紙 1章19~27節)
頭がかぁ~と熱くなり、怒鳴り散らした後で
気持ちが収まると、神様の声が聞こえるときがある。
その時には後悔しても遅い。
発した言葉は消えることがなく、後悔だけが遺る。
歌番組や演奏会などで
上手に歌っている歌手や演奏者、
聴いていて退屈を感じることがある。
それは、聞いている人に気持ちが通じていない時だ。
上手なことをハナにかけている歌手や演奏者は
心がこもっていないことが多い。
それと同じように
宗教の話しを聞いていても、
その人に本当の信仰がなければ説得力がない。
どんな立派な信仰の話しよりも
一つの善行の方が説得力がある、と思います。