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難民に共感と支援 [共同祈願]

(神よ)
やむなく他国に逃れた人々の苦しみや不安を顧みてください。

受け入れた地域の人々の中に

共感と支援心が広がっていきますように。

聖書と典礼2017.9.24共同祈願の意向より

紛争が無くなり
他国に逃れた人々が一刻もはやく祖国に帰れますように。
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想いにふけゆく寝不足 [いろいろな思い]

26日は北海道の中心より上にある剣淵温泉に行った。
ホテルで出された夕食は、洋食風の懐石料理が美味しく、
普段は食事後に呑まないコーヒーを飲んだせいか
眠りが浅く、何回となく目をさましてしまった。

27日は新十津川温泉に移動し、翌日は義姉の墓参をして帰る予定だったが
夕食中に東京の本家の嫁から電話が入り、
直感でこれは何かがあったなと思い、電話にでると案の定
叔父(母の弟)が1月に亡くなっていた。
おまけに息子の従兄も亡くなっていたという。

食事が終わり、一休みしていると札幌の姪っ子から電話だ。
姪っ子から風太郎の携帯に電話が来ることは滅多にないので、胸騒ぎがした。
「夜遅くすみません。緊急のお知らせです。○○さん(三姉の旦那)が
危篤状態です」
お酒を飲んでいるし、いまは動きが取れない。
翌日対処することにして、布団に入るがあれこれと生前のことが
走馬灯のように頭の中を駆け巡り、寝返り打ってばかり。

朝食後、電話で様態を聞くと血圧70/40台だという。
病院の場所を聞いてみると、
新十津川温泉から20数キロしか離れていない赤平市立病院、
義姉の墓参を済ませ病院へ向かった。

義兄は痩せてしまい、昔の面影はない、自分で呼吸はしているが
機械で生かされいる様態だ。
姪っ子に「40年前、東京の修学旅行の時にはお世話になりました」
と挨拶されても、何を世話をしたのか思い出せない。
娘の結婚式が終わるまでは生きていて欲しいと願っていたが
23日に無事に結婚式が終わり、父に写真を見せることができた、
とても素晴らしい結婚式だったと姪っ子は喜んでいた。

帰宅して、今日はゆっくり寝ようとしたが、すぐに目を覚ましてしう。
今度電話を貰った時は、最後のお別れのときだ。

赤平市立病院の近くにいて良かった。
自宅で危篤状態の電話を貰っていてら、落ち着いてはいられなかっただろう。
神に感謝!
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