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身代わりで死刑になった司祭 [生きる]

聖マクシミリアノ・マリア・コルベ司祭・殉教者

地上の地獄であるドイツ。ナチスの収容所、アウシュビッツの囚人たちは、
恐怖におののいていました。

七月二十日、一人の仲間が脱獄して、すべての囚人は、朝から夕方まで、
炎天下に直立不動の姿勢をとらされていました。
何人もが暑さで倒れましたが、罰はまだ終わっていませんでした。
その上、十人の囚人が餓死の刑を受けるのでした。収容所の所長はその列の間を歩いて、
囚人たちの苦しみと不安を長びかせ、やっとその10人を選び出しました。
選ばれなかった人は胸をなで下ろし、
一人の死刑を受ける者の嘆きには耳を貸しませんでした。

十人の中の一人は、「妻や子どもたちには二度と会えない」と嘆き悲しんでいました。
その時、 一人の囚人が進み出て、
「お願いします。私は彼の代わりになりたいのです」と申し出ました。
それを聞いて驚いた所長が、「誰だ」と尋ねると、
「ポーランドのカトリック司祭です」という返事が返ってきました。
所長にとって問題はなかったので、申し出は受け入れられました。

コルベ神父と他の九人は、真っ裸になって、地下牢に入れられました。
アウシュビッツでは、このような刑は初めてではありませんでした。
毎日、牢の監視のために入るナチスの兵隊にとって、
コルベ神父の目に輝く平和な静けさは、耐えられない事でした。
「私たちを見るな。下を向け」と叫ばねばなりませんでした。
十四日後、生き残っていたのは四人だけでしたが、
その中で意識がはっきりしていたのはコルベ神父一人でした。

地下牢は他の処刑者のために必要となり、
四人は、毒物の注射により殺されることになりました。
コルベ神父は祈りながら、自分から腕を差し出し、注射を受けました。
「数分後、私が入ってみると、顔は輝き、日は天を見つめたままで壁によりかかり、
コルベ神父は死んでいました。その姿は高潔そのものでした」と、
ナチスに強いられて手伝っていた囚人の一人が、後で語っています。
(サンパウロ刊「ミサの前に読む聖人伝」より抜粋)


コルベ神父については下記に紹介されています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%99

アウシュビッツでは、囚人が一人脱走しそのまま逃げた場合には10倍の十人、
二人ならば二十人が処刑されたそうです。
どのような環境に置かれても、人は生きる希望を持ち続けます。
劣悪で地獄のようなアウシュビッツでの生活、でもいつかは自由の身になれる、
こんなことは長く続くはずがない、
お互い励まし合いながら日々耐え忍んでいたと思います。
そんな時に突然の「死刑宣告」、むごいです。

「いつかは必ず帰ってくる」と留守宅を守っている家族、
それを思うと死刑を到底受け入れられない囚人に代わって、
コルベ司祭が死刑になりました。
この囚人は生き延びることができ、
終戦後コルベ司祭のお墓に墓参りに行ったと聞きました。
囚人にとっては、八月十四日は生涯決して忘れることができない日だったでしょう。

友のために命を捨てる、 これにまさる大きな愛はない。(ヨハネ十五章十三節)
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