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体は多くの部分から成り立っている [心の栄養]

体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
《足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、
体の一部でなくなるでしょうか。
が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、
体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。
もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、
また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、
もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。
神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。》
(新約聖書一コリント12章14節-26節)

今日のミサの中で朗読される聖書の一部です。
指に小さなとげが刺さっても、とげが抜けて治るまでは痛みが身体を支配します。
地球上の人たちが全員で大きな共同体(体)をつくっています。
世界のどこかで不幸なことが起こると、心の中は穏やかではありません。
すべての人がお互いに必要とされています。
お互いに認め合い、支えあい、助け合い、愛しあいながら生きていきたいものです。

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