自分の心を空っぽにしなさい。

そうすれば、

落ち着いて神と自分の霊魂の問題を話し合うことができます。

ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より



なるべく起床時から2時間前後は、聖書を読んだり、或いは毎日のミサ、

教会の祈りなどを唱え、自分の霊魂を見つめ直すようにしています。

が、心の中は雑念で溢れていて思うようにいきません。


唱えた個所を黙想していても、すぐに関係ないことを思い浮かべてしまい

どんな黙想をしていたのかもわからなくなる始末。

例えば、朝食の味噌汁の具は何にするか、

魚を解凍するのを忘れてしまった、

この降っている雪はどのぐらい積もるのかなぁ、

昨日Aさんに返すべきものを返し忘れたなどなどです。


我に返り「神よ私を力づけ、急いで助けに来てください」

と祈り、しばらくは、心の中を空っぽにすることができます。

空っぽにした僕の心の神殿に神様が入ってきて、

あたりを見回して、汚れたさまをご覧になるのを心の中で分かると

今日は、同じ汚れで心の中を汚しませんと、

神様に約束しますが守れることは少ないです。



「心の貧しい人々は、幸いである

天の国はその人たちのものである。」


マタイによる福音書 5章 3節


心の貧しい人は、貪欲、高慢、欺瞞、不従順などの心を持たず

心を清くし、神様の神殿としていつでも受けいれる用意があります。


いつも、よからぬことで、僕の霊魂は満たされているので

なかなか落ち着いて神様とお話しすることができません。


いつも、明日こそ神様と自分の霊魂について話そう、

で終わってしまう意志薄弱で優柔不断な風太郎をお許しください。


自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。