博識と英知とはめったに両立するものではない。


学者はいろいろなことを知っているが、

その大部分は不必要で怪しげな知識である。


賢人はあまり多くのことを知らないが、

知っているのはすべて、

彼にとってもまたほかの人間にとっても必要なことばかりである。


しかも自分の知っていることを、

彼は間違いなく確実に知っているのである。

(トルストイことばの日めくり)より

友達とお互いに上辺だけの博識を自慢して話しをしている場合には

話しが弾む

博識の会話から徐々に話が掘り下げられ、

理性や知性、判断力が必要とされるようになってくると

「黙」の時間が流れることがある。

黙した後に発せれる言葉が心深く浸透して

自分の人生を左右したり
生涯忘れえぬ一言になったりする。