自分への賞賛や尊敬、



または誉れだけを求めて何になりましょうか。



ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より




コヘレト7章1-2節に次のようにあります。


名声は香油にまさる。
死ぬ日は生まれる日にまさる。

弔いの家に行くのは

酒宴の家に行くのにまさる。

そこには人皆の終りがある。

命あるものよ、心せよ。





人から好かれ崇められ誉れ高い人は、

高級な香油よりも、はるかに勝っている。

そういう人は、人生の終わりである「死」というものを悟っているので

生まれてきた喜び、そして喜びのうちに「死」を迎えることが出来る。


お葬式に行くのは、仲間と赤提灯や宴会に行くよりも意義がある。

なぜならば、泣き悲しんでいる遺族を励ますことができるし、

何よりも

人は必ず死ぬということを遺体は教えてくれる。

宴会では、「死」について真剣に話は出来ないが

葬儀では

この世での別れを告げた後のあの世での話を真面目に話すことができる。

と解釈しました。