たとえ人が全世界を手に入れても、
自分の命を損なうなら、
何の得があろうか。
人はどんな代価を払って、
その命を買い戻すことができようか。
(マタイによる福音書 16章 26節)
今日のミサで朗読される聖書の1節です。
命とは…
今月は墓参、法要などで
亡くなった方の目に見えない永遠の「命」に対して
偲び、感謝し、あらためて永遠の安らぎを、お祈りをしてきました。
人生75年生きてきて、亡くなった人たちを思い出しますと
多くの土地と財産のある人、葬式を出すお金もない人、
天涯孤独で亡くなった人、志半ばで無念の死をとげた人、
生きる望みを失い自死した人、
今までお世話になった人に感謝の握手をして亡くなった人ひと、
家族の事を心配しながら無念の死の床に就いた人などなど、
そいう人たちの笑顔、話し声、喧嘩したこと、
嬉しくて抱き合った人たちに、
目には見えないが、魂を通してお会いすることが出来ました。
墓参を通して
肉眼で見えるこの世の中の財宝、地位、権力は
永遠の「命」を得るためには役立たない。
だから永遠の命を得るための財宝(善行、人を愛するなど)を
今のうちに天国へ積む行動が大切だと
あらためて認識させられました。