2月5日はカトリック教会では「日本26聖人」を記念します。


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日本二十六聖人



日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」[1]
(記念碑の建物は日本二十六聖人記念館)




殉教日
1597年2月5日慶長元年12月19日


殉教場所
長崎


処刑方法



崇敬する教派
カトリック教会聖公会ルーテル教会


列福日
1627年9月14日


列福場所
ローマ


列福決定者
ウルバヌス8世


列聖日
1862年6月8日


列聖場所
ローマ


列聖決定者
ピウス9世


記念日
2月5日



1597年1月3日大阪・京都で捕えられた外国人のフランシスコ修道会宣教師6人、イエズス修道会宣教師3人、それに職業様々な日本人と子供の15人は耳を切り取られ、翌日4日は厳寒のなか見せしめのために、キリシタンが多い1200km先の長崎へ徒歩で連行されます。

途中で、同情した2人が殉教に加わり26人になりました。

長崎に着くと十字架の磔刑に処せらますが、いままさに槍に突かれようとしているときに見物人に向かって

フランシスコ会士パウロ三木は


「今このような時を迎えて、わたしが偽りを語るとは、どなたも思わないでしょぅ。
ですからあなたがたに宣言します。キリスト者たちが信じている道のほかには、
救いへ導く道はありません。キリスト教がわたしに、敵をゆるし、わたしに害を及ぼしたすべての人をゆるすように教えているので、関白殿と、わたしを死刑に処するすべての人を喜んでゆるし、キリスト教の洗礼を受けることを決心するように彼らに願います」(毎日の読書より)と言いました。


日本26聖人の十字架の磔ばかりでなく、日常的に十字架を背負って生きています。

友達からのあらぬ誤解による恨みや嘲笑などもそうです。

恨みには恨みを持って返しても解決にはなりません。

これは、神が与えてくださった十字架だと、赦し耐え忍ぶことも大切です。

神は、時機を見て相手にわからせてくれるでしょう。


自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません。