ロシア語では罰するという言葉は教訓をあたえることを意味する。

お手本を示すことによってはじめて教訓をあたえることができるのだ。

悪に報いるのに悪をもってするのは、教訓を与えているのではなくて、

隋落させているのである。

「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より


お手本を示すことができない人は

罰する権利もないと思う。

しかし、お手本も教訓も与えることのできない人ほど
罰することには熱心な事例がある。

なくさなくてはいけない。