長い会話が済んだならば、そこで話されたのを思い出してみるように努めがるよい。
そうすればそのうちの大部分が、
いや場合によっては口に出されたすべてのことが、
いかに空虚で不必要なものであり、
しばしば好ましくないものであったことに驚かされるに相違ない。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
会話ばかりでなく
結婚式などでの来賓の挨拶、歓送迎会での乾杯のコップを持たままの
「ひとことご挨拶申し上げます」が
コップのビールの泡がなくなっても延々と続き、腹の虫も泣き出す。
教会で長い説教、法事の後のお坊さんのお経よりも長い法話。
どれも
残念ながら聴いてためになったという話の記憶はほとんどない。