聖書の中に書かれています。
「信仰があっても、行いがなければ、何の益があろうか。」
信仰は、人を救うことができるのでしょうか?
もし、兄弟姉妹が裸で、日々の食べ物を求めているのに、
あなたがたのひとりが、彼らに、
「安らかに行きなさい。温まって、満腹するまで食べなさい」
と言いながら、体のために必要なものは何も与えないなら、
いったいなんの益があるのでしょうか?
ですから、信仰とは、行いがない限り、それ自体では死んだものなのです。

(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)


お題目を唱えるだけではダメですと言うことですね。
学校にも職場にも返事はいいけれども、やることはすきあらばサボるひとがいました。
誠実に行いをしている人は、心になにかを秘めているというのが解ります。
そういう人に何か頼まれると断れません。
ささいなことにも、愛をもって行えば信仰は強くなっていくと思います。
「隣人を自分のように愛しなさい」
キリストが言われた掟を
マザーテレサは行いをもって信仰を明かしました。