キリスト者は祈るとき、

いつも静かに座って心を澄ましているかと言えば、

そうではない。

あるときは壁にこぶしを叩きつけながら、

あるときは床を行きつ戻りつしながら祈る。

あるときはヨブのように神と口論し、

あるときはヤコブのように神と格闘をして生涯残る傷を負い、

またあるときは主のみ前でのダビデのように喜びに満ちて踊る。

(クリフォード・ロングレイ)より


祈りは神様との対話でもある。
対話だから喜怒哀楽をあからさまに表していい。
ヨブは神様の言うことを聞かずに自分勝手なことをし

ヤコブは神様と格闘をして脛を折ってしまう。

ダビデは神様に背いては後悔し、

また戦に買った時には着ているのを脱いで喜び踊った。


日本の教会では見なれないが、

韓国のカトリック教会では

泣きながら祈っている人がいた。

韓国の神父が言うには

「泣きながら祈っている人は珍しくない」という。

笑いながら祈っている人はいないと思うが……

神との対話には多額の献金は必要がなく
ありのまま神の前に心を開けばいいんですね。