愛することのできるのは、人格を備えた人間だけである。


 


神は人格を備えた人間ではない。


 


従って神を愛するわけにはいかないということを、私は知っている。


 


しかし、私は人格を備えた人間である。


 


だから、神を愛さなければならないのだ。


 


「トルストイことばのひめくり 」より


 


上記の言葉で思い当たるのは


巷で人格者と言われる人は


ひとに親切で、礼儀正しく、遜り、柔和で微笑みを忘れず


困っている人には声をかけ、必要ならば助けてくれる。


人格者の心には神様がいらっしゃるですね。