自由とは。


 


1945年春。アメリカ兵の戦車は突然ドイツの塹壕に突入しました。


収容所には3万人以上の捕虜が死を待っています。


駅では39の車両はすでに死体で埋まっていました。


見張りに立っていたドイツ兵に不意打ちをくわして高圧電流の流れる鉄条網を切断し、


痩せ細った捕虜を自由にしたのでした。


喜びの余りに抱き合って泣きくずれる捕虜たちにアメリカ兵の司令長官は沈黙を命じ、


静かにことばをかみしめながらドイツ語で言いました。


「これから皆さんは自由だ。」と。


捕虜たちは天にとどろくような声を上げたのです。


そこで司令長官は「私たちにではなく神様に感謝してください。」と


言葉を添え鉄兜を取り、捕虜たちと一緒にひざまずいて祈ったのです


 


皆さん、今年もクリスマスが間近にせまってきました。


キリストの誕生日です。キリストも人類に訴えるのです。


「あなた達に心の自由をもたらしに来ました。安心しなさい。あなたたちの手錠が外されたのです。神は愛なのです。神はお父さんのようなやさしい心のお方です。」


けれども皆さん、自由は勝ち取るべき贈り物で、それを守り、使わないと役に立ちません。


私たちの自由は、……すなわち、奔放な生活をするためにではなく、素晴らしい、生きがいある生活をするための自由であってほしいのです。私たちはこの優れた恵み、この自由をいかに使っているのでしょうか……。


キリストの誕生日にあたって神に願いましょう。毎朝をきれいな自由な心で迎える恵みを。


 


ドンボスコ社 ステファノ・デランジェラ著「落ち葉」より