humble works [心の栄養]
つつましい仕事から離れてはいけません。
こういう仕事はだれもしようとしないからです。
仕事が小さすぎるということはありません。
私たちはとても小さいので、
小さいやり方で物事を見ているのです。
たとえ私たちがだれかのために、
ちょっとしたことをしたとしても、
全能の神は、全てを偉大なこととして見てくださいます。
偉大なことができる人たちは、世の中にたくさんいます。
けれど、つつましい仕事をする人たちは、
本当に少ないのです。
(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)
カラスは鳥の中で人間に一番嫌がれているのではなかろうか。
ゴミ箱を荒らしたり、公園で楽しんでいる弁当の横取りし
時には人間を襲うこともある。
しかし日常の生活の大半は地球上の清掃をしている。
いわゆるごみ拾いです。
ミミズも嫌われ者ですが、
土を耕し栄養を与えているので農家にとって大切な生物です。
富は天に積む [心の栄養]
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は、天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
「体のともし火は目である。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
マタイ福音書 6:19-23
富のあるところに心もある。
目が澄んでいれば全身が明るい。
財産があればあるほどその管理に気を遣い
泥棒やハッカー、特殊詐欺にあったらどうしようか、など
目の焦点は定まらず、顔から笑みも消えていきます。
遺産相続で親族同士の諍いはよく聞く話です。
残念ながらこの世の富は「あの世」へ持って行くことができません。
ノーベル賞のように
財産を世の中のために役立てた人の名は
後世にのこります。
日々出会う人に人知れずにした隠れた小さな善行は
助けられたひとに「あの世」で感謝されるでしょう。
まさに天に積んだ宝です。
活かしあう [心の栄養]
人間は、良いことも悪いこともしながら、
それらの体験を活かしあっているんだなあ、
と人間の不思議な魅力を感じています。
マザー・テレサのような特別な人でなくとも、
あらためて、自分の周りの沢山の方々を眺めると、
そこになんとも言えない美しい個性を見出します。
どの方も自分の個性を嫌ったり好きになったりと忙しいようですが、
この世界の真善美を真剣に求めているような方々ばかりです。
そんな知人や友達を持つ私は幸せ者。
日々の平凡に見える日常生活の中にこそ、
あたたかい愛情に満ちた神の摂理のようなものを感じます。
(心のともしび 植村 高雄)より抜粋
大きなモザイクの画を観ていると
様々な形、様々な色が
それぞれの位置で全体の作品を作り出しています。
風にながさっれている鯉のぼり
それぞれの泳ぎ方は違うが
お互いに風に活かされて泳いでいるから
見る者が癒されるのだと思います。
施し [心の栄養]
福音朗読 マタイによる福音書 6:1-6、16-18
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、
だから、あなたは施しをするときには、
偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
(マタイ福音書 6章1-6節)
施しとは、見返りを求めないで人助けをすることですが、
これから暑くなる季節、
能登大震災でボランティア活動なさっている人たちの
健康が気になります。
敵をも愛しなさい [心の栄養]
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」
(マタイによる福音書 5:43-48)
私たちはみんな人間の子です。
だから頭の中では、環境、国境が違う異国人とみんな仲良くしなければならない
と頭の中では判っています。
しかし、心の中ではあの人とは気が合わない、好きになれない、
顔を見るとむかつく、
あの人とならば好きになれるなど
自分本位にひとを差別してしまい、差別化して諍いを起こしたりします。
神様は、私たち平等に太陽を照らし、夜はお月さまや星空を
与えて下さいます。
お互いに自分たちの欠けた部分を補っていきたいものです。
心から赦す [心の栄養]
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、
一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
マタイによる福音書 5:38-42
何か悪いことをされたらならば
恨みを抱かず、仕返しなどをしないで
思いっきり心から赦してあげなさい。
無理矢理に1キロメートル歩けと言われたら
2キロメートル歩きなさい。
中途半端な赦し方をしてはいけない。
困っている人には寄り添いなさい
ということだと思います。
悪の誘惑にはきっぱりと「否」と答える [心の栄養]
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、
『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
一切誓いを立ててはならない。
天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。
また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。
髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
マタイによる福音書 5:33-37
奉仕活動や弱者に寄り添う誘いを受けたならば
快く「はい」と答え
悪い行いに誘われたならば「否」ときっぱり答えたいと思います。
神田須田町の交差点にて
健康十訓 [心の栄養]
先日、新宿三丁目の居酒屋でのトイレに貼ってあった張り紙
どれもわっかっちゃいるけど実行が難しいです
健康十訓
1. 小肉多菜
お肉ほどほど野菜たっぷり健康もりもり
2. 少塩多酢
塩分摂りすぎは高血圧のもと酢は健康のもと
3. 小糖多果
甘いものは果物から砂糖は肥満への直通切符
4. 小食多噛
腹八分目でよく噛みゃ幸せも噛みしめられる
5. 小衣多浴
薄着で風呂好きの人は健康を身につけている人
6. 小言多行
べらべら喋っている間に行動を開始せよ
7. 小欲多施
自分の欲望のために走らず他人のために走れ
8. 小憂多眠
くよくよしたって同じとっとと寝てしまおう
9. 小車多歩
自動車は確かに早い でも歩けば健康への近道
10.小憤多笑
怒ったときでもニコニコしていれば忘れてしまう。
旅路 [心の栄養]
旅は、リフレッシュ、リセットの機会です。
旅先の景色に感動し、見知らぬ人と出会い、いろいろな発見があり、
その土地でしか味わえない「ご当地グルメ」に舌鼓を打つ、
旅は、確かに楽しく、何か新鮮な感動を与えてくれます。
刺激的でストレス発散にもつながります。
しかし、私は、何よりの魅力は非日常ということのような気がします。
今日、出会う限られた人々との関わりから、何か学ぶことはできないでしょうか。
かわり映えのない日常でつまらないと感じるなら、
何か「再発見」できるよう出かけて行き、いつもと違う表情を見つけてみる、
歩く道や視点を変えてみると、新しい驚き、気づきが必ずあります。
人生という旅路、神様からいただくいのちの日々を、
もう少し大切に、目と心を開いて歩んでみましょう。
非日常の驚きを味わってみましょう。
(心のともしび シスター 山本 久美子)より抜粋
一昨昨日から熱海、
昨日は熱海から東京府中市に来ています。
環境が変わると、
同じ日の出でも新鮮に感じ、
心がウキウキします。
人生の半分以上過ごした府中市ですが
見るもの聞く物が気をひき、
初めて来たような気分になっています。
平和は秩序の静けさ [心の栄養]
真の平和とは、ただ戦争がないことでも、
国家間が危うい緊張関係の中にあることでもありません。
そこにはもっと、積極的な意味があります。
平和を築く――そのために、私たちはどこから始めたらいいのでしょうか。
それはまず、私たち一人ひとりの心の中からではないか、とそう思います。
それができたら、
家庭に、地域に、国に、そして世界に、と徐々に半径を大きくしていきます。
「平和とは秩序の静けさ」――そう語ったのは、アウグスティヌス。
マザー・テレサは、生前、出会う人々にメモを渡していたそうです。
そこには、次のような言葉がしたためられていました――
「沈黙の実りは祈り、
祈りの実りは信仰、
信仰の実りは愛、
愛の実りは奉仕、
奉仕の実りは平和。」
沈黙とは、自分の心に語りかけられる神の声を聴くこと。
それによって、平和への扉は開かれ、私たちは歩んで行けます。
(心のともしび 竹内 修一 神父)より抜粋