生き生きと生きる [心の栄養]
大切な家庭があるのに、
外の人や場に安らぎを求めるなら、
求め続けるなら大切な家庭はどうなるでしょうか。
たとえば朝から晩まで教会に入り浸っている人がいるとするならば、
神様は悲しまれるでしょうね。
ともに生きる大切な人、
場をおろそかにしていますから。
外の人や場に安らぎを求めるなら、
求め続けるなら大切な家庭はどうなるでしょうか。
たとえば朝から晩まで教会に入り浸っている人がいるとするならば、
神様は悲しまれるでしょうね。
ともに生きる大切な人、
場をおろそかにしていますから。
自分が置かれている「場」の中で、
生き生きと生きることができる様に「安らぎ」を探し、
そのうちに憩いつつ歩んではいかがでしょうか。
ともに生きる人の良いところに目を留め、
生きる場所の良いところを探しながら。
そしてそれが安らぎになれば嬉しいのですが。
(心のともしび 古川 利雅 神父より)
生き生きと生きることができる様に「安らぎ」を探し、
そのうちに憩いつつ歩んではいかがでしょうか。
ともに生きる人の良いところに目を留め、
生きる場所の良いところを探しながら。
そしてそれが安らぎになれば嬉しいのですが。
(心のともしび 古川 利雅 神父より)
非常に信仰深い信者さんがいる。
毎週日曜日にはミサに与るために教会に行き、熱心に祈っている。
自分が一番神様に近いと感じているのかもしれない。
他の信者がおしゃべりなどをしていると眉間にしわを寄せて注意する。
熱心な信者さんは、
一人ひとりの中にも神様がいらっしゃるということを忘れている。
熱心な信者さんには笑顔がないが、
おしゃべりな信者さんには笑顔がある。
おしゃべりな信者さんは、
当然自分が聖堂(神様の家)だということを承知のうえで
当然自分が聖堂(神様の家)だということを承知のうえで
ともに祈りあう安らぎを分かち合っているのかもしれません。
一滴の愛を集める [心の栄養]
一滴の愛を集める
感謝を知らない心は、
穴の開いたバケツのようなもの。
どれほどたくさんの愛が注がれても、
決して満たされることがありません。
どんな小さなことにも感謝し、
一滴の愛を大切に集められる人だけが、
心を愛で満たすことができるのです。 (片柳弘史著こころの深呼吸より)
感謝されると、からだが軽くなり芯から温まってきます。
家庭を顧みる日 [キリスト教に関すること]
カトリック教会は、
今日私たちの家族の意味を考え家庭を顧みる日としています。
平和は、家庭という小さな共同体から始まるのではないでしょうか。
エフェソの信徒の手紙には次のように書いてあります。
あなたがたも、
それぞれ、(夫は)妻を自分のように愛しなさい。
妻は夫を敬いなさい。
子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。
それは正しいことです。
妻は夫を敬いなさい。
子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。
それは正しいことです。
「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
「そうすれば、あなたは幸福になり、
「そうすれば、あなたは幸福になり、
地上で長く生きることができる」という約束です。
父親たち、子供を怒らせてはなりません。
主がしつけ諭されるように、育てなさい。(5-33~6.4)
主がしつけ諭されるように、育てなさい。(5-33~6.4)
今日一日を家庭を顧みる日と過ごしてみようと思います。
今すぐやろう! [心の栄養]
微笑んで見せたいなら、
微笑みを今すぐに浮かべなさい。
人を幸せにし、
その心にバラの花を咲かせなさい。
周りの人々が感じるようにしなさい。
彼らへのあなたの思いやりを、
そしてそれを彼らにこの世を去る前に!
さあ、ただちに浮かべなさい、あなたの微笑みを!
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
雪を箒で掃きました [今日の天気]
朝9時の気温マイナス5度、
無風なので温かいです。
雪は1cm程積もっていましたので箒で掃きました。
道路は雪の下が凍っているので、歩くとき油断すると滑って転びます。
「パンを2個持っているなら [心の栄養]
「パンを二個持っているなら、飢えに泣く人に!1個をあげなさい。
残った1個を売って水仙の花を買いなさい。
あなたの心を豊かにするために。」
このヒンズー思想の言葉は私たちにも訴えるところがあります。
それは、食物は命を支えるのだが、
水仙の花は私たちの生活に潤いと香りを与えるのです。
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
共同祈願 [共同祈願]
・神のひとり子が、
わたしたちに与えられた喜びを深くかみしめ、
すべての人の救い主であることを、
あかしすることができますように。
・一人ひとりが誠実に生き、
隣人を思いやることで、
だれもが明日への希望をともに抱ける世の中にしていくことができますように。
・人間関係に悩んでいる人に救いの手を差し伸べてください。
キリストの降誕の光が生きる喜びになっていきますように。
(聖書と典礼2024.12.25より)
今冬2回目の雪搔き [今日の天気]
今冬は雪が降っても白化粧程度で、
箒で掃いてお終いという日が多かったが、
今朝は7cmほどの積雪、今冬最高の降雪量で除雪に30分ほどかかった。
9時過ぎから始めたが気温マイナス1度
風がないので温かい
手足は冷たいが、身体は汗をかいてくる。
身体は防寒着である程度寒さは防げるので
足のつま先と手首だけを温めるものが欲しい。
歌志内 道の駅チロル [道の駅]
歌志内(うたしない)市は妻の実家があり、
近くには道の駅「チロル」建築されていました。
結婚した当時は炭鉱町で五万人以上の人が生活をしていたが
今では3000人前後の人口で日本で一番小さな市です。
写真は2017.8.16、このころの道の駅は賑わっていましたが
今では縮小され寂しくなっています。
萩本欽一さん
大泉洋さん
お二人の色紙と写真です。
もっともっと観光客が訪れて欲しい、
待ってま~す。
生きがい [心の栄養]
生きがいを意識しなくても、
人は生きていけますが、
意識することで張りや喜びを与えられることはあります。
特に希望を失ったとき、
挫折や絶望感に打ちひしがれるとき、
人生の困難や苦悩に出会ったとき、
また空虚感に見舞われたときには、
生きがいほど支えになるものはありません。
再び頭を挙げて人生に立ち向かっていく勇気と力を与えてくれます。
人は生きていけますが、
意識することで張りや喜びを与えられることはあります。
特に希望を失ったとき、
挫折や絶望感に打ちひしがれるとき、
人生の困難や苦悩に出会ったとき、
また空虚感に見舞われたときには、
生きがいほど支えになるものはありません。
再び頭を挙げて人生に立ち向かっていく勇気と力を与えてくれます。
本来的に人は外に開かれて、
自己を開き、
他者に向けて生きていくものとして創られています。
(心のともしび 古橋 昌尚)より
自己を開き、
他者に向けて生きていくものとして創られています。
(心のともしび 古橋 昌尚)より
70代最後の年を迎えても「生きがい」を感じて過ごした日は無いように思う。
ただベルトコンベヤーに乗っかて来た人生ではなかったか。
今からでも遅くはない。
「生きがい」を意識していこう。
共同祈願 [共同祈願]
・混迷する世界の中で人が歩むべき道を示してください。
一人ひとりが神の道に心を開き、
よりよい社会にするために連帯していけますように。
・人を傷つけ、
命の尊厳と自由を踏みにじる悪の力を退けてください。
弱者を思いやり、
支える人々の輪が力強く広がっていきますように。
(聖書と典礼2024.12.22)より
そうだったんだ。 [いろいろな思い]
最近JRを退職した人に上記の普通列車で函館へ行こうとすると
長万部(おしゃまんべ)で乗り換えるのに約5時間待たされます。
線路は繋がっているのになぜそのまま函館までいかないのだろうか?
と聞きました。
それは保線区(縄張り)が違うからで、函館保線区は長万部駅まで
室蘭保線区も上り線の長万部までのダイヤを組んでいて、
他線の口出しはしない。
待つのが嫌なら特急列車を利用すればいい。
乗客の便宜は考えていない。
俺達の若い頃は乗客第一、緊張感のなか和気あいあいとやっていて良かったよ。
ということらしいです。
当てにならない天気予報 [今日の天気]
朝明るくなったので外を見たら雪が降ている。
昨夕のテレビの天気予報では我が地域は晴れマークだった。
天気予報が変わったのかと思い、PCで確かめると雪のマークはない。
降り方も時々吹雪きに近い。
9時半ごろ止み5㎝ほど積もり、今冬初の本格的な雪除けをしました。
一昨日までは可愛い降り方で箒で掃いて雪除けをしていました。
鮭が2尾遡上してきました [なんでも一番]
今年は鮭が不漁だとか。
近所の川も、
去年までは鮭が元気よく数尾が群れとなって上ってきましたが、
今年は少ないです。
動画からの写真なので不鮮明ですが2尾が仲良く泳いでいました。
「やっている」のではなく「やり抜く」決意 [いろいろな思い]
「生き抜く」とは、
まず、何のための人生かと 熟慮の上、その目標を掲げ、それに向かって生涯邁進することだと思います。
まず、何のための人生かと 熟慮の上、その目標を掲げ、それに向かって生涯邁進することだと思います。
単に「生きる」と言うことと
「生き抜く」ということでは、大分意味が異なります。
「生きる」は生物学的意味合いが主になりますが、
「生き抜く」の方には、一貫した自分の強い意志や願望が含まれています。
それだけに、人生の意義や目的、目標を熟慮した形跡が残されています。
(心のともしび 熊本 洋)より
「生き抜く」ということでは、大分意味が異なります。
「生きる」は生物学的意味合いが主になりますが、
「生き抜く」の方には、一貫した自分の強い意志や願望が含まれています。
それだけに、人生の意義や目的、目標を熟慮した形跡が残されています。
(心のともしび 熊本 洋)より
SSブログが閉鎖になりますが、気付かされたことがあります。
それはただブログを漫然と「やっている」のであって
「やり抜いて」いないと言うことです。
皆さんのブログは
・決まった日時にUP
・テーマが決まっている
・写真撮影が玄人
・ブログに自分の思いを反映させている
・これらをブレずにきちんとこなしている、などなどです。
「生き抜く」の方には、一貫した自分の強い意志や願望が含まれています。
僕のように、ただ「やっている」だけでは自分のためにもなりませんし
その前に読者の皆様に失礼であると、反省させられました。
それだけに、人生の意義や目的、目標を熟慮した形跡が残されています。
引っ越し先のブログでは、意義や目的、目標を熟慮した形跡を遺せるよう、
引っ越し先のブログでは、意義や目的、目標を熟慮した形跡を遺せるよう、
「やり抜く」決意で挑みます。
神が人間に苦しみを与えるのはなぜ? [心の栄養]
なぜ、神は人間に苦しみを与えるのだろうか。
人間の苦しみには、一体どんな意味があるのか。
その一つの答えは、
苦しみを味わった人には同じような苦しみを味わっている人の気持ちを想像する力が与えられるということだ。
病気の苦しみを味わうことによって、
私たちは病気の人たちの気持ちを想像できるようになる。
肉親との死別の苦しみを味わうことによって
私たちは同じように肉親を失った人の気持ちを想像できるようになる。
苦しみを味わうことによって、
わたしたちは、同じような苦しみを味わっている人の苦しみを想像し、
その苦しみを自分自身の苦しみのように感じることができるようになるのだ。
苦しみの体験はわたしたちに、
人の苦しみに共感する力を与えてくれると言っていいだろう。
片柳 弘史 神父
片柳 弘史 神父
(心のともしび)より
人に思いを寄せる。
言葉では簡単だが、多くの苦しみに遭った人は
言葉だけでなく、ごく自然に行いでも現す。
そういうことを人情深いと言うのだろうと思います。
ホワイトアウトに遭いました [今日の天気]
7日に石狩方面へ行き、9日に帰宅しました。
6日の天気予報で岩見沢方面は7日にかけて20cm弱の雪が降る可能性がある
と言うので、雪道を避けるために高速道路で行きました。
輪厚(わっつ)を通り過ぎ札幌に近づきに従い天候が悪くなり
雪がちらつきはじめついには本格的に降り始めました。
高速道路だから融雪剤を撒かれている大丈夫だろうと高をくくったのが間違い。
所々路面凍結しているところもあり、
緊張のあまりハンドルを握っている手が固まってしう。
おまけに大型トラックが追い越していくと雪煙で前が見えなくなり
思わずブレーキを踏んでしまいます。
石狩方面に近づきに従い雪は激しくなり、
目的地のインタチェンジを下りた時にはホットしました。
一般道路では信号が黄色になったのでブレーキを踏みますが、
車はスリップして止まりません。
結局 左右で信号待ちをしていた車が
僕が交差点を渡り切るのを待っていてくれたので大事い至らずに済みました。
8日に帰宅する予定でしたが、
周りの人たちが9日の方が天気がいいと言うので9日にしました。
雪道から急に雪が無くなる箇所もあります。
右側にスキー所が見えていますが、未だ営業はしていません。
雪道から解放されて気分的に楽になり、やれやれと思ったら
約10分後、ホワイトアウト に遭いました。
100M先は全く見えません。
追突される可能性があるので車を止めることができず
矢羽根を頼りに走るしかありません。
5分くらいでホワイトアウトを脱出することができ
「助かった!」
と叫んでしまいました。
車には長靴・スコップなどを積んでありますが、
冬の北海道の道路は路面凍結、轍などでハンドルを取られるので怖いです。
明かりの人 [心の栄養]
アラビアのことわざには
「空の星になれないのなら、
自分の家を照らすささやかな明かりになりなさい」……。
インドの詩人タゴールは
「大空の星よりも、神様は、生きている人の明かりをお好みになる」
と言いました。
誰もが明かりとなりえるのです。さまよえる人々のために……。
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
人を躓かせないような生活心がけたいと思います。
寝雪にはならないと思うのですが [今日の天気]
朝7時の気温はマイナス7度、
明け方から降り始め雪は積雪2cmほど、
今は日が照ってきましたが、
これからの時期急に天候が変わり雪が降り出すので外出するときには要注意。
これから石狩方面に出掛けるので、途中の雪道が心配です。
一番の善行 [心の栄養]
飢えたものに食を与え、
裸のものに着るものを与え、
病に苦しむ人を見舞う
ーーこれはどれもよいことである。
だがこうしたこととは比較にならないほどの善行は
ーー兄弟を迷いから解放してやることである。
(トルストイことばの日めくり)より
一番の善行は心の束縛から解放してあげることだと
解釈しました
人間の偉大さ [心の栄養]
人間の偉大さは、
これまでに手に入れたものや成し遂げたこと、
世間の評判によっては決まりません。
いまこの瞬間、
どれだけ誠実に人と向かい合えるか、
見返りを求めず自分を与えられるか、
目の前の相手を
幸せにできるかによって決まります。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
越してきた当時、
雪が降ると朝早くから自家用の除雪機で
人が通れるほどの幅を除雪してくれる人がいました。
土手沿いや生活道路など、その区間は約500Mはあります。
そのおかげで履物が雪に埋もれずに買い物などに行けました。
本当に見返りを求めず、黙々と除雪している姿には頭が下がります。
いまは越してしまい、見かけることがありませんが
僕からすれば偉大な人でした。
独居老人 [生きる]
我が町内会は月日ごとに独協老人宅がおおくなってきています。
その老人宅を狙って、空き巣や悪質な押売りなどで警察沙汰になることもあります。
先日も、玄関の扉を開けたら靴で扉を閉めさせないようにして
物を売りつけようとしている様子を近所の人が見かけ、
警察に電話をしてパトロールカーが駆け付けました。
この男は、この辺では押売り常習犯で被害者もいるので用心しているのですが
ついうっかり玄関の扉を開けてしまうと、
靴を挟み込んで買うまで帰らないそうです。
あるご婦人は、
ご仏壇の前でお線香と蝋燭を灯して拝んでいるうちに居眠りをしてしまい
「熱い!!」と眼を覚ますと髪の毛の半分が燃えていたというのです。
大事に至らなくて良かったです。
聖フランシスコ・ザビエル記念日 [キリスト教に関すること]
12月3日は聖フランシスコ・ザビエルの記念日(祥月命日)です。
フランシスコ・ザビエル - Wikipedia
資料などによると、いきなりキリスト教を教えたのではなく
最初は子供たちを集めて、文字の読み書きや計算式などを教え
その次は日本周辺の地理や世界のこと、動植物や天体などを学ばせ、
最後にキリスト教のことを教えたそうです。
当時は寺子屋も少なかったでしょうから、子供や大人たちも興味をもって
教会に来たようです。
托鉢や寄付を集め、学習用具をそろえたり病人をみまい
必要とする人びとには食物や衣服などを与えました。
「他人を自分のように愛しなさい」というキリストの教えと行いが
フランシスコ・ザビエル一行によって実行されたのが
人びとの共感を呼び瞬く間にキリスト教が広まり
現在に至っています。
今のカトリック信者数は当時とあまり変わらないようです。
決めるのは自分 [心の栄養]
コップに半分入った水を見て、
「半分しか」と思うか、「半分も」と思うか。
人生で願ったことの半分が実現したとき、
「半分しか」と思うか、「半分も」と思うか。
不幸か幸せか、失敗か成功かを決めるのは、
結局のところわたしたち自身です。
(片柳弘史著「こころの深呼吸」より
石に躓いて転んだ時に、
躓いた石を恨むか、石に気付かない自分を戒めるか
それによって痛さも違います。
蛙さん、のぞき見はダメです [穏やかな日々]
8月のある日、窓から部屋の中を覗こうと一生懸命な蛙さん。
横向きになっても見えないし
縦になっても見えない
網戸から直に窓ガラスに張り付いたが眼は外をみている
結果的に覗くことはできませんでした