昨日はゴルフでした [ゴルフ]
それを利用すると、食堂を利用しなければロッカーを借りても1350円
ゴルフを楽しんだ後は温泉で疲れを癒してこの料金
野球税、サッカー税、麻雀税、パチンコ税などがあってもいいと思います。
1350円でシカや、狐たちのギャラリーの見守る中でのスポーツ、
税金をかけるような贅沢な遊びなのでしょうか?
ラウンドを終わってから食事します。
スタートが8時半でしたので12時過ぎには終了しました。
幼稚園児の運動会練習 [穏やかな日々]
教会へ行くのに鳥居をくぐっていくこともあります
新十津川から撮りたて 朝焼け [今日の天気]
看護師でなく看誤師(2) [看護と介護]
と注意すると思いますがね。
それなりの責任ある地位にあるA看護師さんの情けない会話でした。
会話は、希望と喜びを与えるような話し方が大事だと痛感しました。
看護師でなく看誤師(1) [生きる]
誤った看る道を選んだのだろうか?
登別地獄祭り [温泉]
そのために道路規制、駐車場制限など赤い規制線が目立ちます
真夜中は激しい雨でした [今日の天気]
小さなことでもきちんと [心の栄養]
一段落したら食べようと冷蔵庫にしまったままだったんです。
次回行った時に、冷蔵庫の中がスイカの腐敗した臭いで充満していたら困るので
明日は行ってこようと思います。
新十津川から撮りたて 野に咲く花 [植物]
平和の定義 [心の栄養]
一つのブログを開くのに1~5分かかり途中でネットが切れるのもしばしば、
新十津川から撮りたて 墓参 [生きる]
家の前の花畑から花を摘みます
その後に持ってきた花を生けました
新十津川から撮りたて お盆 [生きる]
美唄教会は初めて行きましたが、木造の聖堂は年季が入り趣がありました。
手前は稲穂、奥が蕎麦畑
どうしたら動画になるのか、勉強し機会があれば掲載します。
楽しく飲食し、踊りながら先祖様と過ごすひと時、夏の思い出の一コマとなります。
新十津川から撮りたて [田園風景]
先ずは窓を全開しなま暖かい空気を入れ替えです。
家から持参した冷蔵庫の残り物と、買ってきた食料品で夕食を済ます8時頃
涼しい!と感じる風が入ってきました。
稲穂は色づき始め、ほとんどが頭をたれています。
カボチャの花が顔を出して挨拶していました
人生の刈り入れ時 [心の栄養]
お盆の墓参に行きます [生きる]
その下を濁流が騒音をバラまきながら元気よく流れています
足の指の裏側に大豆大の水泡ができ、それによる発熱、足のむくみ、痛みで
靴も履けない状態でした。
金持ちというものは [心の栄養]
終戦の日に祈る [共同祈願]
終戦の日に心を合わせて祈ります。
戦争が生み出す悲しみと傷の深さを思い、
語り継ぎ、
犠牲となった多くの人の安息と、
まことの平和をいつも願いことができますように。
聖書と典礼2019.8.15より
各地で様々な催事や祈りをしてきました。
北海道では今日の午後6時から札幌の教会で司教によるミサが行われます。
靖国神社の存続とカトリック教会 [キリスト教に関すること]
敗戦後の日本はメリノール会を通じてアメリカから多くの援助を受けた、と聞いています。
ここでの「基」はキリスト教のことですが、
プロテスタントの意見は聞いてあるようですので、ここではカトリックのことだと思います。
6日ぶりに晴れました [今日の天気]
去年より二日早いです
日航機事故 [事件・事故・災難]
二度と起きないようにして欲しい。
火葬場の少年は弟の火葬を見守りました [心の栄養]
詳しくは下記を開いてください。
さまよっていたのではなかろうかと、推測します。
やがて弟は亡くなり火葬場へ……。
焼けた皮膚を触ればべろりと向けてくる惨状の地獄絵図が繰り広げられていたんですね。
永井博士が療養していた「如己堂」を50年以上前に訪れたが、
あまりに狭く質素な建物なので暫く呆然と見ていました。
人間は戦争もできますが、永久に平和を求めることもできます。
この世から戦争や争いがなくなるよ願わずにはいられません。
火葬の順番を待つ少年 [心の栄養]
弟の亡骸を背負い微動だもせず火葬の順番を待つ少年
少年は何を見つめ思い、何を訴えたいのだろうか。
ローマ法王フランシスコが仰るように
千の言葉よりも訴える力があり、胸がじ~んときます。
熱帯夜と台風 [今日の天気]
夜中に熱帯夜と共謀して寝かせまいとし台風雲
あたりを見回すと無残にも台風に吹き飛ばされ哀れな姿
ヒロシマ原爆投下の日 [心の栄養]
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。
戦争は死です。
この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。もはや切っても切れない対をなしている二つの町、日本の二つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。
この二つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。
広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。
自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。
こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。
過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。
広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。
わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。
平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。
核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。
しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の呆たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。
わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。
「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。
それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味します」。
過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。
険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。
その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。
平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりを持とうではありませんか。
テレビ中継で記念行事を観ていましたが、
献花する動作にもその人の気持ちが表れるものだということが分かりました。
為政者の殆どが戦争体験者ではありません。
いまある平和は「自分たち政治家のお陰だ」という驕った献花の姿勢を
万人の眼が見つめています。
いまある平和は、献花をしようとしている御霊の尊い犠牲の賜物です。
憶測ですが、法事などでも、献花や、ご焼香に向かう後ろ姿で
御霊に真の哀悼を告げているか否かが分かります。
お線香やご焼香の作法にこだわる人がいます。
確かにそれも大切なことですが、もっと大切なのは
どれだけ御霊に感謝のきもちを込められるか、かだと思います。
暑さから解放されつつあります [今日の天気]
町内会納涼大会 [今日の天気]
僕の担当は「やきとり」、やったことがないが「男は度胸!」
開場2時間前から、炭火の熱さの中で奮闘しました
醸造所は岩手県でした
熱帯夜とぼやいても解決にはならない [今日の天気]
寝苦しい夜でした
窓を開ければ風が入り部屋を冷やしてくれます
安眠ができるのではなかろうか。
仕合せは身近にある。
肉体は霊的存在の容器? [宗教]
もし人間が単なる肉体的存在にすぎないならば、
死はすべての終わりである。
肉体は霊的存在の容器に過ぎないとすれば、
死は----ただの変化に過ぎない。
肉体は朽ち果てますが、魂は別世界に生まれ変わっていきます。
ところで亡くなるということはどういう事でしょうか。仏教では生まれかわること意味する「往生」と言います。生まれて往くと書きます。それではこの世に生きていることを何というのでしょうか?「生前」と言って、まだ生まれていません。喪中はがきで「生前は大変お世話になり云々」というのは、故人が生まれ変わってあの世に行きますが、この世にいる間はお世話になりました、ということです。
カトリックでは亡くなることを帰天と言います。
ひとは自分の意志でこの世に生まれることはできません。両親がいくら子供を欲しい、男の子がいい、女の子が欲しいと願っても叶うとは限りません。ひとがこの世に生を受けるのには、何らかの大きな知恵が働いていると思います。
7月・8月はお盆で亡くなった人のために祈ります。風太郎も新盆を迎える家が3軒あります。あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。
熱帯夜が続いています [今日の天気]
誘惑に克つ方法 [心の栄養]
大きな誘惑にあったとき、
イエス・キリストに賛美」
と唱えて気を落ち着かせましょう。
ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より
毎日の生活の中で大小様々な誘惑が沢山あります。
「1本だけ!」と、禁煙をすべきなのに火を点け
ビールは500mm1缶と制限されているのに
「今日は猛暑日だから特別にもう1本!」とゴクゴク。
目の前に落ちていた500円玉、そのまま自分の財布へ入れてしまう。などなどです。
でも警察沙汰になるような犯罪、例えばコンビニエンスストアに買物に行き、
たまたま店員がいないのでそのまま清算をしないで持ち帰ってしまう
という誘惑に負けてしまったとします。
そういう気持ちになった時は、たいてい気持ちが焦っています。
そういう誘惑を感じたら、自分が信じている神仏、或いはご両親、ご先祖様のことなどを、
気持ちを落ち着けて「か・み・さ・ま」「お母さん元気かい!」などと
心の中で話しかけてみてはいかがでしょう。
すると「やってはいけません!」と心の中で静かな声が聞こえてきませんか。
その声を無視したとしても、
店には監視カメラがあるので警察に通報されるのではないでしょうか。