自惚れと傲慢 [心の栄養]
本能と自分の力に引きずられ、
欲望のままに生きてはいけない。
「だれもわたしを支配できない」と言うな。
主は必ずお前に復讐なさるだろう。
夫婦祥月命日が同じ [いろいろな思い]
病み上がりは声で分かる [健康]
神様が祈りを聞いてくださった [いろいろな思い]
お見舞いに行ってきました。
その手術は成功したという知らせ。
先日の21日に延命処置を止め「自然死」を家族が選びました。
「もしかしたら、生きては帰れないかもしれない。男の兄弟は長生きしていないからな」
と冗談で話していたという。
「寝巻は全部家に持ち帰ってしまったが、
亡くなったときに何を着せたらいい」
のかと看護師に相談している。
神様が僕の祈りを聞き入れてくださった
でも今起ころうとしている事を家族や親族が受け止める猶予をください」
神様は願いを聞き入れてくださったことを知りました。
五兄の思い出話をしています。
愛の実践 [心の栄養]
小さな善意の行動 [心の栄養]
考え込んでしまいます。たぶんそれだけの勇気はないと思います。
何の見返りを望まず、目の前にいる動物を助ける話があります。
そうすれば神様からご褒美をいただける、ということだと思います。
自分を愛する [心の栄養]
真実を否定しない [心の栄養]
やむなく実力行使!! [動物]
外面だけで判断しない [心の栄養]
足場は単に建築を可能にさせるためのものにすぎないように、
われわれの肉体もまた、
精神生活を育たせるためのものにすぎないことを、
お互いに思い出してみるのはよいことである。
(女子パウロ会刊「トルストイことばの日めくり」より)
建築中の足場に覆われた中を見ることができない。
足場やテントは建築物にとって大事なものであるが、主役ではない。
日々いろいろな人に会うが、
外面だけでその人を判断していないだろうか。
みすぼらしい姿をしていれば、同情や蔑視する眼で眺め、
見るからに高級な腕時計や服装をしていれば
垂涎の眼で見ている自分がいる。
スーパーボランティア尾畠春夫さんが、
大分県までリヤカーを引いて帰っていく姿を見て考えさせられた。
話をする時は [心の栄養]
話をする時は、その言葉が沈黙以上のものでなければならない。
アラブのことわざ
せせらぎより
ひとの噂や悪口を話すときには、
事細かにそして壊れたレコードのように繰り返し話す。
反省しないといけない。
最強の便秘 [健康]
若い人に教えてもらってください!! [いろいろな思い]
会員になりますかと言われ、カードとパンフレットを渡された。
家に帰ったら若い人にこのパンフレットを見せれば登録の仕方が分かりますから、教えてもらってください」
言われる歳になってしまったのかと思わず苦笑いをしてしまった。
日本で一番寒い町 [道の駅]
マイナスではなくプラスです
thoughtfulness [心の栄養]
言葉を使うことです。
良いように解釈 [健康]
もしかして予防接種をしていなかったら死んでいたかもしれないね」
史上最強の強烈寒波! [今日の天気]
寒いので室内から撮影
ひとの痛みを知る [心の栄養]
聖書のヘブライ人への手紙に、旅人をもてなし、獄中の人たちにお労わりなさいとあり、そして
「自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。」
とあります。ヘブライ13章3節
四国では、修験者が修行のために霊場回りしている修行僧を見かけると、
食事を与えたり泊めさせたりして遍路を助けていました。
その面影は今でも遺っていて、お遍路さんは尽きないようです。
映画「網走番外地」で獄中の人たちが極寒の雪深いで作業する場面があります。
ひとにつらく当たり、また虐待や苦しめようと思った時には、
相手も自分と同じ痛みを感じる輩なので思いやりなさい。ということだと思います。
あなた自身 [心の栄養]
あなたの外観を知る人は多いが、
あなた自身を知る人は少ない。
―― アノニモ
せせらぎ「心の散歩」より
ひとに「君のことはよくわかっているつもりだ」と言われ
自分だって「自分自身のことをよくわかっていないのに」と
心の中で思うことがある。
母親はジ~ットわが顔を見つめ、語らない。
全てをご存じなのだ。
当てにならないけれど [今日の天気]
そのわけは、地形が複雑だからなのかもしれない。
曇りならば雨か雪、雨か雪のならば荒れる可能性がある。
というように、天気予報を見てある程度自分で予報することにしている。
当てにならない天気予報だが、その日の天気予報の大事な情報源なのである。
乱暴な雪嵐 [今日の天気]
黄色は長さが50cm橙色は40cm。
湿雪で水分が多いと半分以下でないと持ち上げるのは重たくて困難。
春の兆しの雨? [今日の天気]
愛をともなう行ない [心の栄養]
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、わたしに何の益もない。
キリストのために殉教するという意味もあるあるらしい。
キリストのために殉教したとしてもなんの得になるでしょうか。
キリストも喜ぶはずもないし、自分にとっても何の益にもならない。
ということだと思います。
「死」を恐れるか、意識するか [心の栄養]
死を恐れている生活と
時々刻々に死に近づきつつあるという意識に貫かれた生活とは
全く相違なる生活である。
(女子パウロ会刊「トルストイことばの日めくり」より
逃れることのできない「死」を恐れながらの日々の生活。
昨日よりは今日は「死」に近づいていると認識している生活。
踏切やホームから転落したひとの救助をするのは、
明らかに「死」と向き合っている一瞬だ。
「死」を恐れていれば傍観し、
「死」を受け受け入れているひとは
「死」を恐れないで勇敢にも救助ができるのかな、と思いました。
善い方に考える [いろいろな思い]
12月のある日、親戚の大学生が行方不明になったと連絡が入った。家族は家庭内や友達、大学での不満や問題などを聞いたことがなく、家出をする理由が見当たらないと話す。
警察に捜索人願いを出して間もなく警察から、渓谷に架かる橋の欄干に彼のカバンが見つかったと連絡が入った。
早速警察による周辺の捜索が行われたが手掛かりは得られなかった。
それから2週間余りたち、父親は諦められずに単独で渓谷に降り探索をした。雪が本格的に降りだすと、雪解けの春先までは捜索が困難になるからだ。警察が行った捜索の繰り返しだったが、下方の笹藪の中にこんもりと盛り上がっているのを見つけた。近寄って見ると、そこには愛息子が横たわっていた。警察の司法解剖の結果、死亡の原因特定はできないと回答。
父親は、もう少し警察が丁寧に捜索をしていてくれたら、と悔いが残しながらも、当時は寒いのに精一杯捜索してくれたことに感謝していた。
家族は、息子を家族が待つ我が家に年内に連れ戻すことができて良かった、と悲しみの中にも安堵している。