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世間の称賛を得ようとあくせくする [心の栄養]

俗世間の名声や、世間の人びとの賞賛をえようとあくせくすることは、
人間はみんながみんな同じことをよいと考えるわけではないばかりか、
ある人たちがこのうえなく立派だと考えている同じことを、
他の人たちはとんでもない悪いことだと思う場合が往々にしてあることから言っても、
まことにばかばかしいことである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より


昨日のネットニュースでは

全国高校野球選手権大会の2日目、第3試合で対戦した北照対沖学園戦で試合中に敵と味方の境界を超えた友情の“アシストプレー”があった。と伝えている。


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とっさの判断で人のために尽くしたことが多くの称賛を得ることがある。
そこには損得のよこしまな考えなはなく
「この人は自分の助けを必要としている」と思うと同時に行動しているからだ。
 


それに比べ、名声を得ようとしての行為には不純な考えがると思う。
だから評価もまちまちなる。
こういった事業や行為は権力者は富豪者にみられる。

聖書には善業をなすときには、
右手で行う時には左手に見えないようにしなさい。
隠れた善業は、神様がみています。
目立つように善業をする人は既に報酬を受けているのです。
という内容が書かれています。


はたして風太郎のしていることは、
神様が喜ばれる行為なのか、
自己満足の行為なのか、よく考えてみよう。


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