残暑お見舞い申し上げます [今日の天気]
我が地域は「真夏矢のごとし」で、4日間で終わった気がします。
昨日は最高気温21度で風が吹くと寒く、半袖の姿は少なく、
僕も長袖を着なければチョットしんどいです。
僕も長袖を着なければチョットしんどいです。
今朝6時の気温は18度ありますが、弱風ですが冷たい。
命に係わる暑さの地域もありますのに……。
残暑に十分気を付けてください。
5月6日 道の駅三笠 オホーツクの流氷
右の木の上にはクマと観光船
6月19日 暑さのためなのか氷上にあります
世間の称賛を得ようとあくせくする [心の栄養]
俗世間の名声や、世間の人びとの賞賛をえようとあくせくすることは、
人間はみんながみんな同じことをよいと考えるわけではないばかりか、
ある人たちがこのうえなく立派だと考えている同じことを、
他の人たちはとんでもない悪いことだと思う場合が往々にしてあることから言っても、
まことにばかばかしいことである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
人間はみんながみんな同じことをよいと考えるわけではないばかりか、
ある人たちがこのうえなく立派だと考えている同じことを、
他の人たちはとんでもない悪いことだと思う場合が往々にしてあることから言っても、
まことにばかばかしいことである。
「トルストイことばの日めくり 小沼文彦編訳」より
昨日のネットニュースでは
全国高校野球選手権大会の2日目、第3試合で対戦した北照対沖学園戦で試合中に敵と味方の境界を超えた友情の“アシストプレー”があった。と伝えている。
とっさの判断で人のために尽くしたことが多くの称賛を得ることがある。
そこには損得のよこしまな考えなはなく
「この人は自分の助けを必要としている」と思うと同時に行動しているからだ。
そこには損得のよこしまな考えなはなく
「この人は自分の助けを必要としている」と思うと同時に行動しているからだ。
それに比べ、名声を得ようとしての行為には不純な考えがると思う。
だから評価もまちまちなる。
こういった事業や行為は権力者は富豪者にみられる。
聖書には善業をなすときには、
右手で行う時には左手に見えないようにしなさい。
隠れた善業は、神様がみています。
目立つように善業をする人は既に報酬を受けているのです。
という内容が書かれています。
だから評価もまちまちなる。
こういった事業や行為は権力者は富豪者にみられる。
聖書には善業をなすときには、
右手で行う時には左手に見えないようにしなさい。
隠れた善業は、神様がみています。
目立つように善業をする人は既に報酬を受けているのです。
という内容が書かれています。
はたして風太郎のしていることは、
神様が喜ばれる行為なのか、
自己満足の行為なのか、よく考えてみよう。
神様が喜ばれる行為なのか、
自己満足の行為なのか、よく考えてみよう。
怒りを遅らせる [心の栄養]
怒りにたいするいちばん確実なまもりは、
それをぶちまけることをおくらせること。
ドン・ボスコ社刊「聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日」より
怒りをすぐにぶちまけないで遅らせる。
それは、なぜ自分は怒っているのだろうか、と考える
自分を見つめる時間稼ぎです。
それは、なぜ自分は怒っているのだろうか、と考える
自分を見つめる時間稼ぎです。
宗谷岬公園ー平和の鐘 [いろいろな思い]
6月21日、 宗谷岬公園には記念碑や慰霊碑があります。
その中でも、
今日はヒロシマ原爆記念日なので「平和の鐘」に関するものを掲載します。
今日はヒロシマ原爆記念日なので「平和の鐘」に関するものを掲載します。
「ぐぅお~ん」と鳴り響く鐘の音は
僕の祈りの声を拡声しているようです。
僕の祈りの声を拡声しているようです。
子育ての鐘にも「世界平和の鐘」
子供の平和を願うならば、戦争なんてできません。
子供の平和を願うならば、戦争なんてできません。
宮沢賢治の碑
裏
子供たちにとって無情の雨 [今日の天気]
夏らしい青空を眺めたのは一昨日までの4日間、
昨日は曇り、時々雨。
今日は朝からバッチリ雨です。
子供たちはあと2週間で新学期、それに今日は地域の夏祭り。
楽しく家族と一緒に夏休みの思い出が出来たらいいのですが。
温度計も雨に濡れています。
甲子園の高校野球の開会式を観てから半袖で外に出たらブルルン、
寒くて震えました
甲子園の高校野球の開会式を観てから半袖で外に出たらブルルン、
寒くて震えました
道路の草も雨に埋もれてます
室温
末席 [心の栄養]
心からへりくだるようにしなさい。
末席に着こうとするときには、
心からそれを望むようにしなさい。
ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より
招待されて上座に着くと落ち着かない。
それに上座のひととは本音で話をすることが出来ず、
収穫のない話題に時間を費やす。
それに比べ末席はいこごちがいい。
料理は周りのおえらがたを気にしないで美味しくいただくことができ
目線を気にせずに
見ず知らずのひとでも気軽に話ができるので、話も弾む。
ひとの話を真に聞き、楽しいひとときを過ごすならば
末席に座るのが一番!。
(宴会で末席に着くとなぜか飲み過ぎて翌日は二日酔い)
(宴会で末席に着くとなぜか飲み過ぎて翌日は二日酔い)
紫陽花が見ごろ 終 [植物]
昨日とは違って朝から時折雨が降るなどのはっきりしない天気。
気温も1時半23度。昨日と8度違うので、
あっち~でなくてさむ~いという感じです。
紫陽花の続きです
コスモスも咲いていましたが暑そうです
コスモスに隠れて紫陽花が見えます。
よその家なので遠慮してシャッタを押したらピンボケでした。
気やすめな愛 [心の栄養]
しばしば私たちは、
ある人を神のために愛していると言っていますが、
自分の好みに合わせた気休めにすぎないこともあります。
ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より
心のこもった愛の行いでないと、
せっかくの行為も、神様の前では価値が半減してしまいます。
しっかりとした実り豊かな愛の善業に励んでいなかった自分に猛省。
魂を私に与えてください [心の栄養]
魂を私に与えてください。
ほかのものは取り去ってください。
ドン・ボスコ社刊「ドン・ボスコのことば100」より
「健康で皆から好かれるひとに育ってくれればいい」
「後ろ指をさされるようなことはしないように」
「誠実なひとに育ってくれればいい」
「社会に貢献できるひとになりますように」
「皆から好かれますように」
「まっすぐな素直な子になりますように」
などなど親は子供が生まれたこどもに様々な思いを寄せます。
勉強がよくできますように
立身出世しますように
お金持ちになりすように
名声を博する人物になりますように
有名人になりますように
などの目に見える形の思い寄せる親は少ないのではないでしょうか。
死んだあとも永遠に生き残る魂。
親はその魂を大事にします。
魂を信じない人は、魂を心と読み替えたらいいかもしれません。
いつくしむこころ心
親を大切にする心
人を思いやり愛する心
正義を愛し悪を憎む心
弱者に目を注ぐ心
物質的な価値観を望むよりも、
こういう心を持っていれば充実した人生を送ることができる、
と風太郎は考えます。
朝焼け [今日の天気]
昨日の午後1時半頃には気温が32度まで上昇。
近所を散歩してみたら、保育所では保育士さんが昼寝の幼児にうちわで扇ぎ
ご年配の方々は、玄関を全開にし、椅子を持ち出して軒下の日陰でうちわをパタパタ。
子供がいる家の前では、
ビニールのプールに水をためてバシャバシャと子供たちは大喜びです。
家の中にいても暑いので床屋に行きました。
「俺たちの若い頃は25度を超えたら海に飛び込んでたよ。
札幌の友達は、30度を超えないと寒くてしょうがないだろう笑っていた。
27度を超えることなど滅多になかった。それが最近30度を超えるようになったもんな」
店主は僕よりも20歳以上若い。散髪を終わり立ち上がるとズボンは汗でびっちゃり。
クーラーがまだまだ贅沢品だった懐かしい時代を思い出します。
スーパーマーケットに入ると、暑さの話題で花盛り。
1週間前は暖房が入った日もあったのに。
今朝4時過ぎの空は、朝焼け
お月様もおぼろに見える
書斎(独房)の窓に映る朝焼け
気温
室温、起きた時には26度だったが窓を開けたら下がった
11時。10度上がっています
室内
寒ければ寒い、暑ければあっち~と喚き散らすわがままなぼくちゃん!
注意や落ち度の指摘を謙虚に受け止める [心の栄養]
責任をゆだねられている人に落ち度があれば、
思い切ってそれを知らせること。
そのときは、
落ち着きと柔和を持って行いなさい。
(PHP文庫 渡辺和子著「愛と励ましの言葉365日」より
言い方を間違えると
「それが上司に言う言葉か!」と叱られるのではなく怒られる。
自分の欠点や過ちを指摘されたら、謙虚に受け止める勇気が大切。
上司や部下に関係なく
ひとに過ちや注意をする時には、
言葉遣いなど、それ相当の思いやりが大切だと思います。
風太郎、多いに反省すべし。
今日が最高気温? [今日の天気]
朝5時の気温は室内が26.6度、外は25度で4時に起きた時よりも2度上がっていて、お空は薄曇りです
バラは朝早起き?それとも寝ないのかな?
10時ごろ
室温
外も室内とほぼ変わらず
お空は
スッキリした青空の30度弱ならばいいのですが、チョットスッキリしません。
中間予報では今日が最高気温らしく、来週からは最高気温が25度以下が待ち構えています。
20日から新学期、それまでに子供たちの楽しい夏休みになるような天候を望みたいです。
「ください」と正直にお願いする [心の栄養]
人のもっているものが欲しいときには、
「ください」とお願いしましょう。
「だめ」と言われても、もともとです。
お願いすることで、
自分に正直になれるのです。
(自分にやさしくなるセラピーより)
「だめもと」とよく聞きます。
自分の欲望を満たすときに、
どういう手段を用いたらよいかをあれこれ思案します。
多分思案をするというのは、
自分に正直でない邪気が入り込んでいるのかもしれません。
自分に正直であるならば躊躇なしに
「ください」「ちょうだい」「分けてください」
と言えるのではないか、と解釈しました。