善業する機会 [心の栄養]
今日、
行うことができる善業を、
明日に伸ばさないように。
もしかしたら、
あすは、
もはや時間がないかもしれないから。
ドン・ボスコ社刊「聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日」より
銀行強盗、宝石泥棒、暗殺計画など
悪行は知恵を絞って周到に計画を練り実行する、という物語などがただある。
しかし、善業をするために用意周到な準備をするという物語は少ない。
前にあるいている人が引ったくりにあった場合には
とっさに犯人を追いかかける。
その時に、犯人を捕まえる手順などはあまり考えない。
その時に見て見ぬふりをし、今度であったら捕まえよう、と
思う人はいないと思う。
善業する機会は誰にでも突然にやって来ます。
愛 さ れ た ことの証 [心の栄養]
誰からも愛されたことがない人など、決していません。
自分ではなにもできない赤ん坊が、
誰の愛も受けずに
大きくなれるでしょうか。
今こうして生きているLいうこと自体が
どれだけ愛されてきたかの証です。
誰の愛も受けずに
大きくなれるでしょうか。
今こうして生きているLいうこと自体が
どれだけ愛されてきたかの証です。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
両親。兄弟姉妹、友人、学校の先生、隣近所の人々、上司、部下
自分に関わった人々の愛の結晶が
いまここにいる時分です。
頭を休ませる [心の栄養]
「あれもしなければ、 これもしなければ」と考え続けていれば、
せっかくの休みも休みになりません。
体を横たえても、頭が働き続けていれば疲れはとれないのです。
仕事のこといったん脇に置いて、頭をゆっくり体ませましょう。
せっかくの休みも休みになりません。
体を横たえても、頭が働き続けていれば疲れはとれないのです。
仕事のこといったん脇に置いて、頭をゆっくり体ませましょう。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
黄金週間、有効に使いたいとおもいます。
それって迷信では? [心の栄養]
最もありふれた、最も広く行われている迷信の一つはーー
どんな人間にも決まった生まれつきの特性がある、
つまり善人もいれば悪人もいる、
利口な人間もいればばかな人間もいるし、
熱血漢もいれば冷血漢もいるなどという迷信である。
人間はけっしてそんなものではない。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
迷信は、人がこしらえた人を迷わすものだ。
ひとの噂でその人を、そのような人だと思い込んでしまう。
これも迷信で、悪い人だと思っていたら滅茶苦茶に好感の持てる人だったりする。
利口、ばかかは、人が自分の主観で線引きして決めたもので
ばかだと言われている人にも、他の人がまねができない特性を持っていることもある。
表面で人間を評価してはいけない、ということだと思います。
自分を意識する [心の栄養]
この世のあらゆることの中で私にとって最も確実なことは――
あるがままの自分を意識することである。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
小神学校時代、寝る前に聖堂に集まり、夕べの祈りの中で
修道院長も全員しばし目をつぶり、一日を振り返る。
辱めたこと、虐めたこと、褒められたこと、怠慢など
自分にしかわからない自分をそのなかに見つけることができる。
1分足らずだが自分を意識するに十分な時間だった。
もうすぐ出番です [植物]
昨日、今日は雨で最高気温が10度にも届かない。
一昨日、一生懸命に咲かんとするつぼみを撮ってきました
桜前線が北海道に近日中に上陸、というニュースが流れ、
桜や水仙、芝さくらが舞台のそでで自分たちの出番を心待ちにしています。
言い訳しない [心の栄養]
間違いを指摘されたとき、
言い訳して取り繕えば、相手は
「この人は間違った上に
言い訳までする人だ」と思います。
言い訳せずに事実を認めるなら、
「この人は間違うこともあるが
信頼できる人だ」と思ってくれるでしょう。
言い訳して取り繕えば、相手は
「この人は間違った上に
言い訳までする人だ」と思います。
言い訳せずに事実を認めるなら、
「この人は間違うこともあるが
信頼できる人だ」と思ってくれるでしょう。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
間違いを指摘されたならば
「はい、申し訳ありません」
と素直に謝る気持ちが大事、だとあらためて気づかされました。
反面教師、それは最近の為政者の弁明です。
謙虚さの反対は高慢と高ぶり、それに権力の乱用だと思います。
主夫は主婦にあらず [主夫]
スーパーマーケットが5%割引特売日なので買物に行きその中に大根もありました。
家に帰ってきて茎の付け根けを切ってみたら、ありゃりゃ
「葉っぱを見て買わないとダメ」と主婦から一括
早速店に大根を持っていくと
「これなら間違いないでしょう。痛んでいるかどうかみればわかりますから」
大根は1本でないとね。
スーパーマーケットまで往復ガソリン1リットル使う。
主婦から怒られ、ガソリン代がかかるで主夫はえらいこっちゃです。
見せかけの素朴 [心の栄養]
いちばん素朴でないのは、
素朴に見せかけたいと望んでいる人たちである。
下心のある素朴さは、
最も大きく最も不愉快なわざとらしい態度である。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
悪人が急に善人なそぶりをしよとしてもできないように、
普段と違う態度を取ろうとしても、
顔の表情と体の態度は嘘をつけません。
下心はいつもばれています。
悪口さえも [心の栄養]
「悪口など言わせておけ」 と開き直れば、
どんな悪口も気にせず、 今と同じように生きてゆけます。
ですが、悪口の中に含まれる 十分の一、百分の一の真理に耳を傾け
謙虚に受けLめられれば、
悪口さえ肥やしにして 成長してゆけるでしょう。
片柳弘史著「こころの深呼吸」より
悪口を言われるのは気分がよくない。
しかし、冷静に受け止めてみれば、
多かれ少なかれ当てはまるところがある。
だから、悪口を言われたら
自分が気が付かなかった欠点を教えてくれたんだと、
素直に感謝しようと思う。
死に際して [心の栄養]
死に際して、
私たちは一生のあいだに種子をまいたものを収穫するでしょう。
ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より
農作物は収穫時期が分かっている。
ひとは、自分がまいた種子の収穫時期を知らない。
また、まいた種子がどの位育っているかも分からない。
分かっているのは、育てるのは自分自身だということだ。
いつ収穫されてもいいように、
良い種子をまいて育てておかなければと思う。
卵ではありません [動物]
白いのはゴルフボール。
ボールが飛んできても小鳥はお構いなしに餌を食いつばんでいる。
ゴルフ練習場に狐やシカなどギャラリーがやってきます。
BGMはウグイス
「へたくそ」と言われいるみたい。
海老まつり [食べること]
お世話になっている日本料理屋さんの「海老まつり(海老丼)」が「じゃらん」で紹介された。
じゃらんで紹介されるのは今年で4年目、毎年提供する料理は変わるが「じゃらん」をみて客はいままで一人もいないと店主は言っていた。
校正刷りの段階から知っていたので、初日の20日に行く予定だったが行けなくなり、最終日の今日お店に行った。ランチに行くのは初めてです。店主は留守で板長さんが賄っていました。
今年は「海老まつり」1500円と手ごろな値段なので多い時には15人、注文を受けてから殻をむくので忙しく、特に今日は活海老なので殻と身がはがれにくいので時間がかかり大変だとこぼしていました。
目が輝いています
殻、味噌汁にしたらいい出汁が出るのだが勿体ない
取っ手がないコーヒーカップ
ご馳走さまでした
善と悪に関して [心の栄養]
善に関しても悪に関しても、
人びとがあなたたちについて言うかもしれないからではなく、
神があなたたちに言われることに心をとめなさい。
ドン・ボスコ社刊「聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日」より
善いことだと思ってやったことも、
それが評価されず、逆に批判されたり悪口になって広まってしまうことがあり、世間の目が気になり、善いことをしようと思っても消極的になってしまう。
そんな時に、自分の親だったらどう思うだろう。亡くなったおばあちゃん、おじいちゃんだったら褒めてくれたかもしれない。と自分に話しかけてみるのもいいかもしれません。
そして
神様と向き合ってみたらどうでしょう。
人さまには善いように見えても、神様が見る目は違っているかもしれません。
真の善は神とともに歓び、神に背く悪は神も涙を流していられることでしょう。
当ホテルの温泉は飲用できません [温泉]
道内の温泉地をめぐり、疑問を持ったのがこの注意書き。
泉質、効能など細々書いてあります。
飲用なども食後などと書いてあり、最後には飲用できません。
これは各地でみられ
飲んでも別に健康に害はありませんでした。
何とも不思議な注意書きです。
避けられない死 [心の栄養]
確かなことは
死なねばならないことであり、
もし悪い死をとげれば、
永遠に滅んでしまうのです。
ドン・ボスコ社刊「ドン・ボスコのことば100」より
この世の生き物は、生を受けた時から「死刑宣告」を受け
死刑からご赦免されることはない。
人は、死ぬまで自由に生きることができる。
つまり死ぬ直前まで、死の準備期間です。
充分な死の準備をした人は「備えあれば憂いなし」で、
「死」をそれほどおそれない。
死に備えていれば多少の不備があったとしても
あの世での
最悪の事態は避けられる、ということだと思います。
懐古(大倉山スキー場) [旅行]
冬のオリンピック、パラリンピックも金・銀・銅メダルを多く獲得し
歓喜のうちに終わりました。
去年の今ごろ、札幌オリンピックでスキージャンプが行われた大倉山に行きました。
春の兆しが感じられるスキー場の写真の羅列です。
思いやる心 [共同祈願]
(神よ)
他者を思いやる心を一人ひとりのうちに育んでください。
身近なところで苦しんでいる人を顧み、
支える力となっていけますように。
聖書と典礼2018.4.15より
スーパーマーケットに買物にいき、買い物籠を取ろうとしたら
同じくご婦人も買い物籠を取ろうとしていたので、
先に取った僕はご婦人に渡したら、ニコリとされた。
レジに並び、ふと後ろを見たら手に沢庵1本しか持っていなかったので
僕は後ろに回り、先に清算をしてもらったら、感謝された。
こんな小さな思いやりだが、生きていく潤滑油になればいい。
思いやる潤滑油は、ひとの世を住みやすくしてくれる。
羊蹄山。
下徳富駅 [道内の駅]
新十津川駅を一足先に出発して、次の駅で列車を待とうと下徳富駅は向かいました。
駅舎はすっぽり雪の中
ホームに行く階段
僕と同じ考えの青年がすでにカメラを構えていました
列車が見えてきました
乗降客は誰もいません
トップのまえに下か…
長上の正しい望み [心の栄養]
できるだけ、
長上たちの正しい望みを自分の望みよりも大切にしなさい。
ドン・ボスコ社刊「聖フランシスコ・サレジオのすすめ」より
殆どの人は、立場が違えば自分が長上であり、従者でもある。
長上の正しい望みとは
全ての人を、我田引水、えこひいきすることなく平等に取り扱い
困っている人や弱者に手を差し伸べることだと思う。
そういう長上の言われることは、自分が考え思っていることよりも大きい。
希望を託せる長上の望みには、
大いに協力すべきである、と解釈しました。
新十津川名物駅長、ララちゃん表彰される [旅行]
3月18日夕刊に上記の記事が載りました(Webのニュースより)
3月23墓参ついで(墓は雪の中でした)に新十津川駅に行ってみました。
お墓の様子は
新十津川駅に向かう列車
カメラをしまい急いで駅に向かいます。
駅から乗客が出てきていました
ララ駅長は乗客に挨拶
ララ駅長にあやかって「はる」ちゃん(2歳)登場。
目線はララ駅長
笑ったら負けよ!
先輩の手前礼儀正しく
ダイヤ改正で時刻表が20分ほど遅くなっていました
嘘は見抜かれている。 [心の栄養]
上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
ヨハネによる福音書 3:31-34
今日のミサのなかで朗読される聖書の一部です。
何か過ちを犯し、それについて弁明を求められた時に
保身、関わった人たちへの配慮から証拠を見せられても白を切る、
という経験は風太郎はある。
今思えば、見抜かれているのに嘘の弁明をしている自分が滑稽だ。
上からを質問者、地に属するものを答弁者に置き換えてみた。
昨日の国会中継はラジオで断片的にしか聞いていなかったが
「きろく」と「きおく」の上手に使い分けて弁明するのはさすが、
風太郎もそういう才能があれば、
もう少しましな生活ができていたかもしれない。
愛は不滅で豊か [心の栄養]
愛している人は、与える。
いつも与える。
その人は、
自らのうちに、尽きることのない豊かさを持っている。
キアラ・ルービック
(女子パウロ会刊「愛について100の言葉」より)
身近に感じる大きな愛。
それは親の愛。
親は子供にとって必要なものは、自分を犠牲にしてでも与える。
愛されて育った子どもはそれを受け継ぎ
愛は永遠になくならない。
11日です [事件・事故・災難]
今朝、耶馬渓で大きな土砂崩れがあり、6人の安否が気になります。
一刻も早く救助されることをお祈りします。
今日は11日、東日本大震災で亡くなれた多くの方の命日です。
先週、いち早く被災地に支援に入ったシスター(修道女)と神学生は
想像絶する光景にしばし呆然とした、という話を聞きました。
3月22日に運よく被災地に入ることができ、シスターたちは修道服ではなく普段着で、まずは届きは始めた援助物資の使えるものとそうではないものを仕分け、使用できるものはどんどん配布した。
大きな支援物資が届き、中をみて唖然とした。それは淡路大震災の残り物らしきもので汚れやカビが生え、とても配布できるものではない。
被災者が下着(パンツ)が欲しいと言われ、すぐに老若男女、大人・子ども、大中小の下着を調達するように所属する修道院や教会に依頼した。思いつくのは水、食べ物ですけど、下着が深刻な問題になっているとは気づかなかった。
2年間支援活動していたが、肝に銘じていたのは「布教」ではなく「支援活動」、だから「カリタス(ラテン語で愛)」という団体名も口に出さなかった。
最初の年のクリスマスのときには、殆どの宗教団他は引き上げてしまっていた。心の中では祈りながらもカリタスの「カ」、クリスマス「ク」も言わずにひたすら支援活動をしていた。
「カリタスさん、今日はクリスマスでキリスト教のお祝いではないんですか。お祝いしましょうよ」
と言われた時には、私たちが黙っていても被災者の人たちは分かってくれていた、と喜んだそうです。
僕は、これが本当の布教だと思いました。
ありがたい言葉よりも、よりそう行動です。
homelessness [心の栄養]
ホームレスであるということは、
住む家がない、ということだけではありません。
それは、彼らがこれまでに経験した、
だれからも愛されない寂しさや拒絶といった、
耐えられないような孤独からくるのです。
わたしたちは彼らのところにいるでしょうか?
わたしたちは彼らを知っているでしょうか?
わたしたちは彼らを見ているでしょうか?
住む家がない、ということだけではありません。
それは、彼らがこれまでに経験した、
だれからも愛されない寂しさや拒絶といった、
耐えられないような孤独からくるのです。
わたしたちは彼らのところにいるでしょうか?
わたしたちは彼らを知っているでしょうか?
わたしたちは彼らを見ているでしょうか?
(女子パウロ会刊「マザー・テレサ日々のことば」より)
家庭で
学校で
職場で
部活で
仲間を拒絶してはいないだろうか?
拒絶しているとすれば、
すでに拒絶した人たちも、
自分自身に拒絶され虚しさを覚えているかもしれない。
魂の安住を失ったらみじめだ。
新学年・新学期 [ボランティア]
今日から新学年の子供たちが初登校、見回り隊も活動開始です。
薄っすらと積もった雪は間もなく解けて、反射板になりピカピカの1年生は眩しそう。
横断歩道を渡ると一目散で学校へ
互いに忍びあい赦し合う
13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
コロサイ人への手紙 3章13・14節
今日、主に修道院で朗読される聖書の一部です。
朝から何回となく読み返しました。
この2節が守れたら争いは起きないと思います。
ホタテ貝の稚貝を頂きました [食べること]
昨朝、お隣さんからホタテ貝の稚貝をボール一杯いただきました。
稚貝たちは貝を開いたり閉じたりしている姿は、眠いので欠伸をしているように見える。
早速酒蒸し煮して晩酌の肴にしました。
美味しかった