日々是好日 [心の栄養]
皆さん、新年おめでとうございます。
一年ごとに人は何かを無くし、何かを見つけていきます。
何かを背負い、何かをおろしていくのです。
肝心なことは何を無くし、何を見付け、何を背負い、何をおろすかという点だと思います。
日本では家の玄関や会社の机によく次の禅のことばを見かけます。
「日々是好日、毎日が良い日」というと「良い」という言葉に惑わされて
「悪い」の反対語だと解釈し「良い日」とは、
幸福で素晴らしい日のことだと考える人が多いことでしょう。
しかし、禅の説明はそうではありません。
「良い日」には、もっと、ずっと深い意味があります。すなわち、
禅は今、ここ、つまり後にも先にも無い、この絶対の日のことを言っているのであり、
それを要約して「良い日」という言葉を使ったのです。
皆さん、人は変われる、何でもやり直せるはず……。
胸を張って朝日を受けて、どんどん白い息を吐いて、昨日のことを忘れて、
あふれる光のエネルギーを全身で受け止めてください。
そうだ、気配りを注ぐなら、晴れても、雨が降っても、風が吹いても毎日が良い日となる。
それを心が決めるのだ。
今年の毎日が皆さんと皆さんの家族、全生徒と職員にとって、良い日であるように祈ります。
(ドン・ボスコ社「落ち葉」より)
筆者デランジェラ神父はイタリア人で、
日本で宮崎日向学院、大阪星光学院、目黒サレジオ幼稚園などで
長年教育に携わってきました。
当時のサレジオ会の神父は、
月に一度お寺(街中の寺ではなく○○本山)に行き座禅や講和を聴き
逆にお坊さんもミサに与り、命、真理について分かち合いをしていました。
デランジェラ神父も仏教についても勉強していたと思われます。
今日は、昨日よりも良い日になるようにつとめ
そして良い一年間であったといえるように過ごしたいと思います。
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