塀の中から家族を想う [いろいろな思い]
真夏の有る日、空知地方に行った時に2時間ほど時間が空いたので
近くの某カトリック教会を訪れました。
初めて行く教会でしたが、玄関を開けると
「友よ 遠方より来る」ではないが
外国人の神父が、
まるで懐かしい友が訪れてくれたかのように笑顔で出てきました。
30分ほどお邪魔して帰ろうとすると
「もしかしてあなたは出版社の方ではありませんか?」
なぜ、そんなことがわかるんだろうとドキッとしました。
「東京に居るときに少し関係していました」
「お願いがあるんです。
服役中の囚人がくれる手紙の内容が、とてもいいので本にしたいんです。
手伝ってくれませんか」
と言われ50通ほどの手紙を預かってきました。
神父は教誨師として北海道内の二つの刑務所を訪れている。
そのうちの一人(50代)が神父の話しに感動して出所後には洗礼を希望、
そのために獄中でキリスト教の勉強をしています。
カトリック教会はクリスマス後の27日に「聖家族」お祝いしています。
赤ちゃんのイエス様、母親のマリア様、養父のヨセフ様の家族です。
囚人の手紙を文字お越しをしている中で
家族について書いてある部分がありましたので紹介します。
先日の話の中で、
私の名前にはどの様な願いが込められているのかとお訊きになりましたが、
何故かあの後とても優しい気持ちになったのを覚えています。
私には、皆が持っている幼小時代の楽しかった思い出というのがありません。
あるのは物心ついた頃から受けていた暴力だけで、両親の愛も思い出すのが難しいほどです。
今でこそ、虐待は世界中で問題になっていますが、私の子供時代のそれは醜く、筆舌に尽くし難い経験をして育ったのです。
小学生で施設に入り、中学生になってすぐにヤクザの事務所でお世話になるようになったので、以来殆ど親子の交わりもなく、私にとっての家族とはヤクザの世界の疑似家族だったのです。
ですから、私にとっての両親とはあって無き者、遠い存在になっていました。
しかし先日神父様に名前の意味を訊かれたことで、私にもあったはずの幼い頃と、新約の聖家族の温かな営みがダブり、どんな思いで私を産み、育ててくれたのかに思いを致しのです。様々な葛藤があるのは否めませんが、私も息子が居ますから、子を思う親の気持ちは痛いほど分かります。
何よりも、目に見える親を敬うことは、見えない神様を敬うことに通じます。
今こそ、長い間の親不孝を詫び、信仰によって生まれ変わった姿を見せてやりたいと思います。
色々な傷がありますがイエス様の血潮を覚えて、父亡き後に残された母親を心から愛する道を進んで行きたいと思います
このような気付きを与えてくださり、本当にありがとうございました。
2020-12-30 16:21
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コメント(3)
今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
by YUTAじい (2020-12-31 07:13)
・・・文面の文字の美しさと 一字 々 に 強い意志が 感じられる
この方の人生に 何があったのだろう???と・・・
風太郎さんのブログから 何時も 気付かされること が 多々です。
ありがとうございました。来る年も宜しくお付き合い下さいませ。
by cooper (2020-12-31 12:45)
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
by YUTAじい (2021-01-01 06:41)