SSブログ

神の存在に疑念を抱くとき [キリスト教に関すること]

神を信じている人で、

神の存在に疑念をいだく瞬間に見舞われないような人はひとりもいない。

しかもそうした疑念は有害ではなく、

むしろ反対に、

れはわれわれをより高い神の理解へと導いてくれる。

(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)


親から厳しく躾や叱られた時に、本当に血のつながった親だろうか、

自分は捨て子、或いは貰いっ子なので虐めているんだ。

本当の親だったらもっと優しくしてくれる。


仕事や事業、受験などの失敗、大病、災難に遭遇した時に、

これほど一生懸命に努力して頑張ったのに、

なぜ自分だけがこんな目に合わなければいけないのだ。

「神も仏もない」と失望したことは、

多かれ少なかれ誰もがあると思います。


僕も例外ではありません。

本当は神様はいないんだ。

だから熱心に祈っても願い通りにならないのだ。

そして失望し、気持ちは暗闇の中に沈んでいきます。


親は子供を厳しく躾けたり、叱るのは

間違った方向に行かせないためであり

常に子供の傍にいて、正しい道をあゆませようとしています。


「神も仏もない」と思うのは、

自己中心的な願望が成し遂げられえない時です。

 

親は子供の希望するものが、

子供にとって、いま必要なのか、有益なのか有害なのかを判断します。

そしてその理由を親が子供に説明した時に、

不承不承でも子どもは聞き入れ、月日が経つにつれて、

親が子供の要求を聞き入れなかった理由を理解できると

その不承不承は親の有難味に変わります。


子どもは、自分が希望する物を買ってくれない、
行かせてくれない、やらせてくれない……。そしてふてくされます。

大人は、自己中心的な願望、欲望などが成し遂げられないと、

失望し自暴自棄になり、お酒に溺れたりするときもあります。


子どもは、欲しいものを与えてくれない親は、

単なるケチで喧しい大人としか思っていないかもしれません。

この世の中で一番自分を愛し大事にしてくれる親が

身近にいることを意識していないのです。


仕事や事業に失敗した時に「この世に神も仏もない」

と思わないでください。

神様は、

ご自分の子供である私たちのことをいつも見守ってくださいます。

なので自分たちの願望をいつ叶えればいいのか、

わかっていますのでその時期になれば必ず与えてくださいます。

イエス様は

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。
そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

(マタイによる福音書 7章 7-11節)と仰っています。


振り返れば、

祈願した多くのものが与えられていることに気づかされます。


自分の願いが叶えられない、と失望していることも神様はご存じです。

なぜ叶えられないのかを究明すれば、

神が必ず応えてくださり

その時に神との関係がより深くなります。


自分の解釈や感想であり、キリスト教の教えを説くものではありません

nice!(12) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 12

Facebook コメント