肉体は霊的存在の容器? [宗教]
もし人間が単なる肉体的存在にすぎないならば、
死はすべての終わりである。
だがもし人間が霊的な存在であって、
肉体は霊的存在の容器に過ぎないとすれば、
死は----ただの変化に過ぎない。
肉体は霊的存在の容器に過ぎないとすれば、
死は----ただの変化に過ぎない。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
死とは、肉体と霊魂が離れることです。
肉体は朽ち果てますが、魂は別世界に生まれ変わっていきます。
ある法事で、祈祷を終えたお坊さんは
「今日は○○さんの年忌にあたり、ご霊前に法要の御祈祷を唱えさせていただきました」と参列者の方に向きなおり、次のような話をなさいました。
ところで亡くなるということはどういう事でしょうか。仏教では生まれかわること意味する「往生」と言います。生まれて往くと書きます。それではこの世に生きていることを何というのでしょうか?「生前」と言って、まだ生まれていません。喪中はがきで「生前は大変お世話になり云々」というのは、故人が生まれ変わってあの世に行きますが、この世にいる間はお世話になりました、ということです。
葬式をするのは人間だけです。亡き人が永遠の命(天国、極楽、楽園)を行けることができるようにと祈ります。それが死者のための祈りや、葬儀、法要です。
カトリックでは亡くなることを帰天と言います。
ひとは自分の意志でこの世に生まれることはできません。両親がいくら子供を欲しい、男の子がいい、女の子が欲しいと願っても叶うとは限りません。ひとがこの世に生を受けるのには、何らかの大きな知恵が働いていると思います。
子どもは神からの授かりもの、と言われていますが、神からの授かりものなら、神の国に帰天(帰国)するのは納得がいきます。
7月・8月はお盆で亡くなった人のために祈ります。風太郎も新盆を迎える家が3軒あります。あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。
死んでも魂が生きている、だから墓参や死者のために祈るのですね。
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