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二人の主人に仕えることができない [キリスト教に関すること]

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」マタイによる福音書 6:24-30


つい最近「ハッ」と気がついたことがあります。

北海道に移住して今まで就活してきましたが、全く仕事はありませんでした。
声が掛かるのは、「子供の見守りたい」「土手の草刈り」「お祭りの手伝い」「公民館の雪除け」
などの奉仕活動です。

収入がないと生活はジリ貧追い込まれ、日ごとの生活が困難になります。

あと4か月で北国の生活も十年になり、静かに振り返りました。

「お前に収入を得させるために仕事を与えなかった。

しかし、ひもじい思いをさせたことはないし、大病もさせなかった。
それは奉仕活動をさせるためである。

もし仕事に就いていたならば、いまの奉仕活動は行うことができないだろう。

この地に来させたわけの一端がわっかったか?」

という神の声でした。

イエスは、神とこの世の悪の両方に使えることはできないと教えました。

たしかに、就業していたならば奉仕活動はないがしろにしていたかもしれない。

二つの主人に仕えることはできません。


見守りたいの1年間のご褒美、30Lのごみ袋5枚です

KIMG3374.JPG

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