生と死について [キリスト教に関すること]
生と死とについての問題にたいして、
自分以外の、かつて生きていた賢人たちの解答を受け入れるにしても、
そうした解答の選択とそれをそのまま認めるかどうかは、
やはり本人しだいである。
(女子パウロ会刊「トルストイ ことばの日めくり」より)
カトリック教会では1964年に、
復活祭から3回目の日曜日(今年は5月12日)を「世界召命祈願の日」と定めています。
ひとはこの世に生を受けた時から、何らかの使命を神様ら仰せつかっています。その使命が「召命」と言われるもので、聖職者、教員、主婦、医師、学者、農業、漁業、工員、公務員、政治家など、ひとは神からそれぞれ能力に応じて招かれています。自分に与えられた「召命」を自覚し誠実に果たすことができるように祈る日です。
生まれてくるのに「自分の意志」がありませんが、亡くなるときには「意思」があります。
自分が召命を忠実に果たしたならば、「死」はそれほど怖くはないですが、
反対に神から与えられた召命をないがしろにしたひとにとっては、
恐怖になるのではないでしょうか?こう書いている僕も「死」は恐怖です。
召命を誠実に果たすならば、輝かしい死後の世界も見えてくるかもしれません。
ときには自分の「生」を考えてみるのも大事だと思いました。
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